大和葛城の大古墳群―馬見古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
馬見古墳群の回。数を追いすぎてやや散漫な内容に
全国の古墳などを紹介する「遺跡を学ぶ」シリーズの一冊。奈良盆地西部の馬見丘陵(河合町~広陵町の一帯)に広がる「馬見古墳群」を取り上げています。ここには、4世紀末~6世紀にかけて、巣山古墳(全長210m)・新木山古墳・築山古墳などを中心に、250基以上が集まった大古墳群です。古代の中心部とされる場所から距離があるため、これだけの規模であってもやや地味な扱いを受けてしまう、可哀想な存在でもあります。
ここには通常の前方後円墳よりも後円部が短い「帆立貝式古墳」というものが数多く残されていて、この形の日本最大の規模を誇る「乙女山古墳」もあります。前方後円墳と並行して作られているような形跡もあり、性別によって形を変えていたという説もあるそうです。
馬見古墳群は、大塚山古墳群・巣山古墳群・築山古墳群の3つのグループに分類され、時期的にもややずれていることから、この古墳群がどのような性格のものなのか、様々な説があります。「葛城氏の墓所だった」という見方が一般的ですが、古い資料には「天皇家の一族の墓所」としているものもあるとか。延喜式には、高市皇子の三立岡墓(正確な場所は不明)や、押坂彦人大兄皇子の成相墓(舒明天皇の父)などがここに設けられたと記されているそうです。
雄略天皇と一言主神の逸話や、野見宿禰と當麻蹴速のエピソードにもあるように、当時は大和盆地を二分する勢力があり、その一方(おそらく葛城氏)の影響下にあった場所のようです。しかし、古墳の分布などを見ると、葛城氏は次第に大和政権に取り込まれ、そればかりか、葛城の土地が巨勢氏によって侵食されてきた痕跡まで見つかっているのだとか。色んな発見がありますね。
…と、このような発見はありましたが、全体的にやや退屈でした。本書の前半部分は、主だった古墳の紹介に充てられているのですが、数が多く、さらにそれほど際立った特徴がないため、私レベルの人間が楽しめるものではありません。冒頭と主だった古墳の項目、そして最後の2章くらいを読むだけで十分だった印象です。