看板建築
商店建築に用いられた「看板建築」の貴重な著作。次第に消え行く懐かしい建築様式です
「建築探偵」として名を馳せた、藤森慎吾さん・増田彰久さんが、昭和初期ごろから増えた「看板建築」に挑んだ一冊。店舗と住居を兼ねた木造の商業建築で、正面側をトタンやモルタルなどで多い擬似洋風にしたもののこと。一般的にはその呼び方も存在も知られていないジャンルですが、その歴史などを分かりやすく解説しています。
本書は1999年に発売されたものですが、今でもこの本を超えるものは刊行されていないと言えます。この「看板建築」という言葉自体、著者たちが提唱し、次第に正式な用語と認められたというほどですが、注目してみると面白いんですよ。
説明文:「震災後、東京下町の繁華街に雨後のタケノコの如く出現した「看板建築」。建物の正面に銅板やタイルをはり付けて装飾した、下町商人の粋とミエの建築群を写真と文で紹介。94年刊にカラーを増補した新版。」
看板建築が普及した背景には、関東大震災が大きく関わっています。明治時代の商店建築は、軒があり和風の要素を遺した「出桁(でげた)造」、表面に土を塗って防火対策を施した「蔵造」などが標準的でした。しかし、大正12年(1923年)の関東大震災によって、ほとんどの商店は崩壊し、商店街はバラック街へと姿を変えます。その傾向として、以下の様な変遷があったようです。
・中心的な商店街は、蔵造→表情豊かなバラック→アール・デコ・ビル(コンクリート製)
・周辺の商店街は、出桁造→ただのバラック→看板建築
銀座や日本橋のような中心的な商店街は、建物もコンクリート製で建て替えられましたが、その周辺の商店街ではそれが出来ず、木造の建物の前面を平面にし、多くの場合は洋風に見せようとした看板建築のスタイルが出来上がりました。2階建て以上の木造建築が許されていなかったため、屋根部分を「マンサール屋根」とし、天井裏として一室設けるようなスタイルも一般的だったのだそうです。
この形式が地方へ普及したのも、おそらくそう時間は経たなかったでしょう。全国各地で近代的な(昭和的な)商店街が広まり、外観を統一させるため、また道路に面する位置を統一させるため、看板建築的な建物が量産されていきました。
本書では、なかなか立ち入る機会のない看板建築の商店の間取り図や、室内の写真が掲載してあったりするのも面白いですね。外見は立派な建物であっても、中は普通の和風の木造建築です。店舗スペースに圧迫されているため、狭い和室で家族が(さらに従業員や弟子たちまで)ぎゅうぎゅうになって暮らしていたのだそうです。
そんな商店建築も、昨今の商店街の衰退にともない、次第に数を減らしてきています。厳密な建築の定義はともかく、「いかにも洋風の外観で、内部は和風」という建築はまだいくつも見つかります。建物の前面だけが、舞台の背景の書割のようになっていたりする姿もユニークですから、ぜひ注目してみてください。