今昔 奈良名所
中世からの「奈良の名所」案内。豆知識がいっぱいで楽しめます!
奈良の中世あたりから近代まで、時代ごとに語られていたさまざまな「奈良の名所」を豆知識的に紹介した、奈良市埋蔵文化財調査センター所長の森下惠介さんのご著書。
前半20数ページは、かつての奈良を描いた錦絵や名所図、観光パンフ、絵葉書などがカラーページを交えて掲載されており、本文はほぼテキストのみで淡々と名所たちを紹介していくスタイルです。
登場するエリアは、現在でも観光名所となっている奈良の中心部(猿沢池や春日大社、東大寺、興福寺、奈良公園の周辺エリア)に限定されています。この辺りは観光ガイドなどでも何度も説明を目にしていますから、大抵はすでに知っているような内容になるかと思いきや、まったく初耳の伝承などが次々に披露されます!
内容自体はかなり地味めなんですが、私はこういった薀蓄的な内容が大好きなので、読み終えるまでに付箋紙でいっぱいになりました!いつかこの本を片手に、渋い伝承地を見て回りたいですね。
簡単なメモ代わりに、気になった点を書き出しておきます。
●猿沢池の近くの石段・五十二段。その東側の木立は、保元の乱に敗れた左大臣藤原頼長がここに休息して興福寺に開門を求めたとされることから、「悪左府の森」と呼ばれたとか。
●鹿を殺したものは石子詰の刑(罪人を穴に入れ小石を詰めて圧殺する刑)にされたという記録はないが、この刑は中世以降の山伏や、血を見ることを嫌った高野山などで行われていた。「十三鐘石子詰古址」の名所は芝居によって作られた名所。
●中世の奈良では、興福寺が僧兵を抱えていたため武具や武器の生産が盛んだった。しかし、江戸時代以降、奈良刀は大量生産され粗悪になり、鈍刀の代名詞として「奈良物」などと呼ばれてしまった。
●春日大社の名物燈籠とされるのが「春日七燈籠」。臥鹿燈籠・西屋燈籠・雲卜燈籠・御間燈籠・柚木燈籠(宝物殿へ移設。現地には複製模刻がある)・奥院燈籠・祓戸燈籠。ほとんどが以前と同じ位置で見られる。
●日本の(蒸し風呂ではない)浴室の起源は、東大寺・大湯屋。鎌倉時代の南市(紀寺町)に、元興寺の修理料を得るために建てられた湯屋「岩井銭湯」が、記録に残る最古の銭湯。
などなど。こういう豆知識がお好きな方は必読です!