魂の居場所を求めて
白洲正子さんと、吉野の歌人・前登志夫さんの対談や文章など。興味深い顔合わせでした
独特の鋭い審美眼を持った文筆家・白洲正子さんと、吉野に暮らした歌人・前登志夫さん(Wikipedia)。このご両名の対談と、お互いについて書いた短めの文章を一冊にまとめたもの。
南朝・まれびと・西行法師・前川佐美雄・保田與重郎・丹生神社・本居宣長・山本健吉・折口信夫など、興味深いキーワードたちが登場します。
白洲正子さんのエッセイなどは大好きでよく読んでいますし、吉野に暮らしたくさんの歌を詠んだ前登志夫さんについては、(まだ作品などは読んでいませんが)興味がありました。そんなお二人の顔合わせですから、面白くないはずがありません。
しかし、それぞれの対談内容などはとても興味深いのですが、それを単純に並べただけなので、同じような話題が何度も出てきたり、時系列がおかしかったり、気になる点もいくつか見受けられました。やや興ざめしてしまいました。
説明文:「達人は危うきに遊ぶ。美の探求者・白洲正子と、吉野の隠栖歌人・前登志夫は出会うべくして出会った。両達人の関心事が交わる対談と、それぞれへのエッセイを収める、邂逅の記録、全一冊。」
対談の中で、前さんの言葉に共感できるポイントがいくつも見つかりましたので、メモ代わりに引用しておきます。
「(西行の歌「誰かまた花を尋ねて吉野山 苔ふみ分くる岩伝ふらむ」について)本来、桜というのは、ちょっと人里を離れた、死者の魂のいるような場所に植えてあってね。それを遠くから見るという、そういう作法があったんじゃないかな。ところが、今は花と出会うというような花見のゆかしさが、全然ありませんから。西行さん、それを言うてはるような……。」
「(画家・山本健吉さんが)何十年かに一度、全山の桜の花が、谷間からの風に吹き上げられて、空をくらくして渦巻いて舞い上がる、“花醍醐”という花吹雪があるといって、それを見たがっておられました。」
「(南北朝の面白さについて)律令体制になっていって、山の文化の象徴である役小角がやられます。それ以降もいろいろなくすぶりはありましたが、中央の律令体制の支配によって、影をしだいにひそめていました。そこへ南北朝で天子がこっちへ逃げてきて、山の中、つまり自分らの懐へ入ってきたというんですからもう……。そういう連中がどんどん手を組んでつながっていって、南朝に賛同していくんだから……なんとも言えず、縄文的なものの雄叫びのこだまを聴くわけです。」
などなど。
前さんの著作などもぜひ拝読していきたいと思います。