大和の鎮魂歌―悲劇の主人公たち
奈良に関わる悲劇の主人公たちの姿を、丁寧な取材で浮かび上がらせた一冊。面白いです!
長い奈良の歴史に登場する「悲劇の主人公」たちの姿を、文献のみではなく、今なおその方たちを祀っている現地の方や子孫など、丁寧な取材によって浮かび上がらせた一冊。朝日新聞の奈良版に連載された記事をまとめ、2007年に出版されました。
筆者さんは、元朝日新聞の記者だった方で、2004年末の定年をきっかけに明日香村へ移住。6年ほど生活し、現在は三重県熊野市へ移り、三重県立熊野古道センターの理事をなさっているとか。さすがの取材力ですね。まったく知らなかった言い伝えなど、いくつも発見がありました。
説明文:「悲劇の主人公たちと、現代に生きる末裔や里人たちとの細い糸を、鮮やかによみがえらせ見事につなぎとめる。」
蘇我入鹿・自天王・惟喬親王・山背大兄王・有間皇子・蘇我倉山田石川麻呂・大友皇子と十市皇女・大津皇子・長屋王・大塔宮護良親王・吉村寅太郎・淳仁天皇・井上内親王・早良親王・影媛・ヤマトタケルノミコト・葛城円大臣・崇峻天皇・物部守屋。
本書で登場するこれらの人たちは、悲劇的なエピソードが残り、後に祟り神として祀られていることも少なくありません。
個人的にもとても興味のある方たちなので、これまで何冊かの本を読んできましたが、基本的には遺された文献から探るものが多くなります、しかし、本書では現在の取材の部分が多く、他では気づかない現代との結びつきを感じました。
気になったところをメモ代わりに書き出しておきます。
●山田寺跡に「雪冤碑(せつえんひ)」が建っている。冤罪で亡くなった蘇我倉山田石川麻呂の無実の罪を訴えるため、1841年、後裔にあたる山田重貞という人物が建てたもの。冤罪であったにも関わらず、平家物語に「朝敵」として名前が出ていたことに反発したのだとか
●十市皇女を祀る「比売神社」。新薬師寺の近くにある小さなお社は、「祀ってほしい」という、いわゆる霊感がおりてきたため、個人で作ったもの。鏡神社の摂社。
●薬師寺の中門に向かって左手に「若宮社」(重文)、右手に「龍王社」がある。平安末期の『薬師寺縁起』には、「二上山にこもっていた大津皇子は、謀告によって、7日間蔵に閉じ込められた。怒った皇子は龍となって天下を騒がせた。その悪霊を鎮めるため、二上山山麓に龍峯寺・掃守寺(かにもりでら)などを建てた。」そして、天武天皇ゆかりの寺・薬師寺の若宮社・龍王社も、同様に大津皇子の鎮魂のためのお社らしい
●五條市に幽閉された井上内親王(当時57歳)は妊娠しており、間もなく出産する。生まれた子は雷神だった。その雷神を祀る神社が五條市御山町の「火雷神社」。川を挟んで井上内親王を祀る「御霊神社」と向かい合っている。重陽の節句には、親子が対面する。
●大阪・天王寺公園の中にある茶臼山古墳。それと背中合わせの堀越神社は、聖徳太子が叔父の崇峻天皇の徳を偲んで建立したもの。現在、毎月13日に御霊鎮のおまつりを行っている。ちなみに、現在の御陵がある場所は、もとは崇峻天皇の宮跡だったようで、実際の陵墓は赤坂天王山古墳が有力
●大阪・八尾の「大聖将軍寺」は、聖徳太子を祀るお寺。1972年に建てられた多宝塔には、聖徳太子の立像の前に、宿敵だった物部守屋と伝わる坐像が鎮座している
など。とても面白い内容でしたので、興味のある方はぜひ!