誰も知らない東大寺
お水取り・重源上人など、東大寺に生まれ育った長老が語る知られざる東大寺の姿。良書です!
親子三代にわたって東大寺別当を務めた、故筒井寛秀さんのご著書です。お水取りや重源上人のこと、東大寺の仕組み、大仏殿や南大門仁王像の修理の大勧進のことなど、東大寺に生まれ育った長老だけが語ることのできる、一般人には知られざる東大寺の姿を伝えてくれる良書でした。
説明文:「東大寺は、創建以来、華厳宗の総本山として、幾多の災難を乗り越え、栄えてきた日本を代表する寺です。東大寺の長老・筒井寛秀さんは、大正10年に東大寺で生まれました。以来、東大寺に暮らし、お水取りにこもっている僧として前代未聞の出征をしたり、伽藍や南大門の大修理に関わったりと、東大寺とともに人生を送ってきました。本書は、80余年間、東大寺とともに歩んできた筒井さんの人生を縦軸に、東大寺の生き字引と言われる筒井さんが語る東大寺の歴史的な裏話や筒井さんだけが知っている東大寺の案内を横軸に構成していきます。筒井さんによる「誰も知らない東大寺」案内は今までのガイドブックにない深みを持った1冊です。」
本書の項目は、二月堂お水取り・私の重源上人・私の東大寺案内・東大寺に生まれて。通常であれば、自らの生い立ちを語る「東大寺に生まれて」の項目から始まるものですが、あえて東大寺僧からみたお水取りの項目を冒頭に置いてあります。私はお水取りに関する本は何冊か読んでいますが、実際に参籠した方が淡々と語る言葉は重みがありますね。
お水取りとは、752年に実忠和尚が始めて以来、一度も絶えなく続く行事です。筒井長老が練行衆として初めて参籠した昭和19年、2日目の夜に教育収集礼状が届きました。その後、さらに他2名の方にも赤紙が届き、一気に3名が抜ける非常事態だったそうです。灯火管制もあり、お水取りの行事自体も存続の危機を迎えますが、こうした方々のひたむきな思いによって途切れることなく続いてきたんだと伝わってきて、胸が熱くなります。
また、お水取りには欠かせない講社の話や、花ごしらえ、食事の作法など、リアルで興味深い話が語られています。お水取りの前にぜひ一読しておくといいですね。
また、その他のエピソードも、私がまったく知らなかったような興味深いものがたくさん語られていましたので、簡単にメモしておきます。
●1186年、東大寺再建のため、周防国が東大寺に与えられ、重源上人が国司に。南大門仁王像は、山口市徳地の材木を使用していて、この地に現存するの法光寺・阿弥陀如来坐像は、東大寺仁王像と同じ用材から作られている
●太平洋戦争の末期、東大寺法華堂は解体され、仏像も疎開する直前だった(実際に、四天王像と地蔵菩薩像・不動明王像は、円成寺と正暦寺へ疎開に)。建物の解体準備が始まると、朝日新聞の記者の方が「戦争は終わる。工事を1週間延期するように願い出なさい」と耳打ちされ、その1週間後に終戦を迎える。法華堂は解体を免れた
●昭和12年に、法華堂の本尊・不空羂索観音像の宝冠が盗難にあい、時効となるわずか5ヶ月前に無事に発見された(その詳細が書かれています)
●俊乗堂・阿弥陀如来立像(快慶作)は、別名「釘打ちの弥陀」と呼ばれている。左足の甲に釘を打ち付けた痕がある。また念仏堂には「夜泣き地蔵」が祀られていたり、東大寺の各塔頭寺院を1ヶ月ごとにまわって拝まれる「廻り地蔵尊」なども
●現在は礎石しか遺っていない、東大寺中門跡は「焼門」と呼ばれている。この右手の竹やぶの中には、四角い石組みで「御拝壇」と書かれた石標が。これは聖武天皇が授戒した際に大仏さまに向かって三礼した場所なのだとか
などなど、興味深いお話がたくさんありました。他の本ではなかなかここまでディープな情報は読めませんので、興味のある方はぜひ!