天の二上と太子の水辺
二上山・壬申の乱・中将姫・恵心僧都源信など。奈良県香芝市の歴史を振り返った郷土史
私が住んでいる奈良県の「香芝市」についての郷土史的な一冊。古刹・當麻寺(市町村の区分ではお隣の葛城市になります)の文化圏にあった地域であり、奈良国立博物館で始まる特別展「當麻寺 -極楽浄土へのあこがれ-」の予習を兼ねて読んでみました。
私は大人になってからここへ移住してきた人間ですから、現住所とはいえあまり詳しいことは知らなかったのですが、知れば知るほど面白いですね。奈良の中でもそれほど知名度がある市ではありませんが、歴史が深くて分厚いです!
香芝市の歴史上の特色を上げていくと、以下のような項目が出てきます。
●ヤスリとして使われた金剛砂、屯鶴峯付近で採取され石棺として使用された「大坂白石」の産地
●神聖な山・二上山の麓。山頂には大津皇子が祀られ、それを嘆いた姉・大来皇女の歌が万葉歌にも収められている
●藤原氏の娘・中将姫の伝説の里。継母からひどい仕打ちを受けながら仏への信心を失わず、當麻曼荼羅を織り上げたストーリーは、数々の戯曲になった
●西方極楽浄土の概念を日本中に植えつけた、「往生要集」を著したことでも知られる恵心僧都源信の生まれ故郷
●聖徳太子との関わりの深い「片岡」の地(長屋王の領地でもあった)
●日本最古の相撲が行われた伝承地「腰折田」の所在地
さらには、この地の「大坂」という地名は日本書紀や壬申の乱でも登場したりしますし、武烈天皇陵があったり、中世には万歳氏や岡氏が支配していたり、小堀遠州が代官として収めていたりと、当然のことながら歴史はどんどん続いています。奈良の歴史を振り返ると、どうしても奈良時代までに限定しがちですが、本書ではそれ以降の歴史も細かく記され、これまで完全に見過ごしてきた事実をたくさん気づかせてくれました。
面白い話はたくさんありますが、私がこの辺りに住み始めて真っ先に思った「溜池の多さ」について、その歴史がよく分かりました。二上一帯はは水の利に恵まれない土地であり、二上山(天の二上)から流れ出る水(天つ水)を巡って争いが起こり、村民たちが資金を出しあって溜池を作ることも頻繁に行われていたのだとか。
特に江戸時代になって水不足に拍車がかかります。奈良は古くから「大和木綿」の産地で、稲と綿を隔年ごとに交替で栽培していたのだとか。しかし、後に河内の木綿などに取って代わられるなどして、木綿栽培は下火になり、より大量の水を必要とする稲作の比率が増える結果になってしまったのだそうです。本書に溜池造営の嘆願書などの資料も掲載されていますが、そんな事情があったんですね。
ついでにメモ代わりに書いておきますが、中将姫が蓮の糸を使って一夜にして織ったという伝説が残る「當麻曼荼羅」。実際には絹糸の綴織です。蓮の糸は、繊維の質としては木綿程度で、とても染色しづらいため良い素材ではないそうです。
さらに言うと、當麻曼荼羅の成立の記録が最初にみえるのは、僧・実叡が1192年に記した「建久御巡礼記」の中でした。ここでは、化人がきて蓮糸で浄土変相図を織って麻呂子親王の夫人に与えたとありますが、まだ中将姫の名前は見られないそうです。中将姫がこの伝説とリンクされたのは、1436年に酉誉聖僧(ゆうよしょうそう。後に芝の増上寺を開基した僧)が記した「當麻曼荼羅疏」が最初とのこと。切ない継子いじめのストーリーは後に戯曲化され、女性から圧倒的な支持を受けます。近代に入っても入浴剤「中将湯」としてその名前が残るほどの有名なヒロインになったのです。
もう一つオマケですが、香芝市という名前の由来は、もとを辿れば下田地区にある「鹿島神社」からだとか。かしまが訛ってかしばとなり、香芝中学校という学校名となったのが最初のようです。もとは下田村・二上村・五位堂村・志都美村の四村が合併したもので、五位堂村は「恵信町」を、二上村は「二上町」を主張して対立。一時は無難な「大和(だいわ)町」に決まりかかったのですが、一転して香芝町になったとか。
香芝という名前も美しいのですが、二上山にちなんだ二上市であったりしても良かったかなとも思いますね。内田康夫さんの浅見光彦シリーズ「箸墓幻想」の中で、香芝市の由来について触れている部分があるそうですから、こちらもいつか読んでみたいと思います。
…という、とりとめのない感想になってしまいましたが、地元・香芝市に興味のある方は最後まで読んでみるといいですし、奈良の歴史好きな方は、前半の香芝が歴史の表舞台にたった部分だけを読むのもいいですね。