
正倉院ガラスは何を語るか - 白瑠璃碗に古代世界が見える (中公新書)
正倉院宝物の「ガラスの器」について掘り下げた一冊。製法も来歴も興味深いです!
奈良時代から伝わる正倉院宝物の「ガラスの器」について、その歴史・産地・製法などを掘り下げた一冊。2012年の第64回正倉院展では、コバルトブルーのガラス製のコップ「瑠璃坏(るりのつき)」がメインに登場しているため、その参考にと読んでみたのですが、とても興味深く読めました。
紹介文:「正倉院には現在、六つのガラス器と破片が保存されている。だが、これらのうち、東大寺大仏開眼のさいに奉献されたものは一点だけで、のこりは平安時代から明治時代までのあいだに新たに収蔵されたものである。それらはいつ、誰が、どのような技術で作り、なぜ正倉院に収められたのか。正倉院の記録を網羅的に調査し、ユーラシア全域の古代ガラスの出土状況を調べ、さらに自ら正倉院ガラス器を復元した著者が、その謎に迫る。」
現在、正倉院宝物として伝わっているガラスの器は「6点」あります。
●コバルトブルーで指輪状の装飾がつけられた「紺琉璃坏」(=瑠璃坏)
●ボディー部分に亀甲状のカットがほどこされた「白琉璃碗」
●透明ガラスの台座付きの碗「白琉璃高坏」
●やや稚拙なデザインに見える水差し「白琉璃水瓶」
●美しいブルーの痰壺「紺琉璃壺」
●グリーンが鮮やかな長細い器「緑琉璃十二曲長坏」
しかし、そのいずれもが天平時代から正倉院にあった訳ではありません。正倉院の宝物は、各年代で在庫数がチェックされていますが、ガラスの器に関しては初出は1193年。それまで0だったのに、一気に24個も記されています。その後、5個前後で推移するのですが、中身は入れ替わったりしているとか。永遠のような長い間保管されていると思いがちな正倉院宝物も、こんな変化があるんですね。
ちなみに、増減の増の理由は、追加で収められるから。戦乱で焼け落ちた大仏が復興されるたびに、各国の使者を招いての盛大な法要が行われたため、そこで献上された宝物が追納されるのだそうです。
ガラス器それぞれのエピソードも興味深く、「白琉璃碗」はササン朝で大量生産されたものが日本に伝わり、正倉院には江戸時代に収められましたが、ほぼ同型のものが6世紀の安閑天皇陵から出土しているとか。また「紺琉璃壺」は、11世紀に伊勢の豪族・平致経が暴行事件を起こして追われる身となっていた際に、東大寺へとりなしてもらうように依頼した際の手土産だったそうです。正倉院の宝物には、予想もしないエピソードがありますね(笑)
著者は、大学で教鞭をとりながら世界各地の出土ガラス器の製作技法の復元に取り組み、正倉院ガラス器の製作方法を探った由水常雄さん。独自の意見をお持ちの方のようで、過去の正倉院展の解説文などを引用し、その間違いを真っ向から断じています。素人目にはどちらの意見が正しいのかは分かりませんが、古代のガラス研究の学説がまだ完全には定まっていないこと、ユーラシア大陸には様々なガラスの産地があったことが分かって興味深いです。
やや専門的な内容も含まれますので、誰にでも読みやすいような内容ではありませんが、千年以上も昔のガラスの器の背後にあるドラマ性が理解できて、とても興味深い内容でした。正倉院展で瑠璃坏を見てより詳しく知りたくなった方にはオススメです。