2011-09-07

河瀬直美監督の『朱花(はねづ)の月』レビュー

河瀬直美監督の『朱花(はねづ)の月』レビュー

奈良を舞台にした映画を撮り続けている「河瀬直美」監督の最新作『朱花の月』を観てきました。やや難解な点もありましたが、さらに深化した河瀬ワールドが展開されていて、インパクトのある作品に仕上がっていました。ぜひ劇場へ足を運んでみてください!

(※以下、ネタバレになるような記述は避けているつもりですが、気になる方はご覧にならないようにしてください。)


『朱花の月』は個人的には「90点」レベル

河瀬直美監督映画『朱花の月』公式サイト
河瀬直美監督映画『朱花の月』公式サイト

藤原京・飛鳥・高取の一帯を舞台として、三人の男女の心の揺れを静かに、激しく描いた作品『朱花の月』。いかにも河瀬直美監督らしい、心に強く訴えかけてくる映像と、静かに展開される日常的なストーリーの積み重ね。やや難解だったり様々な解釈が可能なシーンもありますが、色々と想像が膨らみますね。今作も細かい設定などは説明されず、淡々と日常をカメラで追うことでストーリーを紡いでいきます。

ネタバレを避けるため、細かいことは書きませんが、ストーリーは加夜子(大島葉子)が拓未(こみずとうた)に妊娠を告げるところから動き始めます。万葉集に詠われた飛鳥の地で、祖父たちの世代の果たせなかった思いなども乗せて、静かに感情が交錯していきます。生活という現実を突きつけられた拓未、その反応を待つ加夜子、加夜子の感情の変化を受け止める哲也(明川哲也=ドリアン助川)。全員の苦しみが静かに満ちていきます。

拓未が住む古い民家、明日香村の栢森地区でたなびく鯉のぼり、拓未の家に巣を作ったツバメ、哲也が飼っている小鳥、紅花で染めた染料の朱色、藤原京に沈む大きな月。全てが意味を持ち、何かを暗示しているかのようです。極限まで想像力が膨らみます。

万葉集という古い題材を持ち出しているため、小難しい言葉を使った古臭い教科書的な内容だと思われるかもしれませんが、こうして観ると、神代も万葉の時代も今も、人間のやることは変わらないんですね。飛鳥や藤原京跡の力もあり、万葉集のせつない恋唄の世界を映像化したような、静かで重厚で切ない気分に浸れました。

また、「上手い演技ができる俳優」よりも「自然な雰囲気が出せる俳優」を好んで使用する河瀬監督だけに、今回もとても自然体です。主演のこみずとうたさんも大島葉子さんも、どちらもデビュー間もない方たちです。演技が上手いとは言えないのかもしれませんが、とても自然なんですよね。プロっぽい饒舌な演技をしてしまうと、ザラッとしたドキュメンタリーのような映像から浮いてしまうんでしょうね。ボソボソと呟くようなセリフ回しも、日常をリアルに表現していると思います。そんなシーンが積み重なるからこそ、感情が爆発した瞬間がより強烈なインパクトを残してくれます。

そして、そんな中に登場するプロ中のプロ、主人公の母親役の樹木希林さんがさすがの存在感ですね。この人にかかれば、過剰にも自然にも自由自在なんでしょう。いかにも田舎のオカンらしい雰囲気を漂わせてくれていました。

さらに、今作で強く感じたのが、カメラワークの進化です。これまでの河瀬作品では「手持ちカメラで長回し」というイメージがあり、そういったシーンが強い印象を残してきました。今作では、演者にアップで迫るシーンが多かったように思います。作業中の手元、会話中の表情、作ったサラダなど、手持ちカメラで決して真正面からは捉えず、視線がさまようように揺れながら日常を写していきます。

リアリティーへの徹底的なこだわりから、切り取られた映画の中の世界ではなく、ドキュメンタリー的な世界観を生み出すことに成功しているといえるでしょう。何でもない被写体の映像でも、引き込まれるように凝視してしまいました。

また、私は河瀬作品を映画館で観たのは初めてだったため、これが今作からの特徴なのか、映画館とDVDの違いなのかは判断できませんが、映画に常に流れる「音」の存在感を強く感じました。流れる川の音、虫たちの鳴き声、激しい雨音、鳥かごの中で鳥が動く音、食事の音など、ほとんどのシーンで生活ノイズに近い音が聞こえてきます。静かなシーンではひそやかに、感情が現れるシーンでは耳障りに、生活の中の音が強さを変えて迫ってきて、強い緊張感を生み出していました。

私は映画には詳しくないので判断できませんが、河瀬監督の映像手法は北野武さんと比較されることも多いようです。世間から少し外れた男たちの世界を描く北野武監督と、古都・奈良に住む名も無き人々の世界を描く河瀬直美監督。テーマが違いすぎるため、単純な比較はできませんが、いずれも高い評価を受けていることは間違いありません。

しかし、この『朱花の月』という映画は、他の河瀬作品以上に「誰もが楽しめる」というものではないでしょう。

難解な要素も含んでいますし、テーマも重く、決して気軽に見られるようなものではありません。映画の見方は人それぞれとはいえ、絶賛する人も少なくないと思いますが、同じくらいの数の人が低い評価を与える可能性もあると思います。そのくらいクセのある作品ですし、クセのある監督さんです。

しかし、私は映画の世界へ強く引き込まれました。奈良の中でも地元に近い場所が舞台になっていることも理由の一つですが、もちろんそれだけではありません。映画を観終わった後、何度もこの映画のことを考え、色んな解釈ができることを頭の中で再確認し、ずっとその余韻を味わっています。スカッと後味爽快なハリウッド映画とは正反対ですね(笑)

ただし、この映画は何の知識も持たずに観ると、意味が取れないシーンもありますので、登場する万葉歌の背景を知っておくといいかもしれません。また、作中に(おそらく)「死者の書(Wikipedia)」がモチーフになったと思われるイメージなどが出てきますので、簡単にあらすじを知っておくと、全体がつかみやすいと思います。

決して誰にでもお勧めできる作品とは言いませんが、興味のある方はぜひ劇場に足を運んでご覧ください。胸の奥に深いインパクトを与えてくれる素晴らしい作品だと思います。



■関連リンクなど(一部ネタバレあり)

映画「朱花(はねづ)の月」オフィシャルサイト
「朱花の月」河瀬直美監督 恋の修羅場 日本の精神文化+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
樹木希林、河瀬直美監督のオファーに「ギャラもらえると思っていなかった」 - goo 映画
朱花(はねづ)の月: LOVE Cinemas 調布
「ある宿命」に翻弄される男女3人…河瀬直美ワールドうすら恐ろし (1/2) : J-CASTテレビウォッチ


劇中に登場する万葉歌の簡単な解説など

ここからは蛇足になりますが、『朱花の月』に関連する万葉歌を簡単に紹介しておきます。現代語訳があれば、それほど難解なことはありませんよ。


万葉歌「香具山は 畝傍を惜しと 耳梨と…」

映画『朱花の月』の重要なモチーフになっているのが、「大和三山」の三角関係を詠んだ、
中大兄皇子(後の天智天皇)の万葉歌です。

香具山は 畝傍(うねび)を惜しと 耳梨と
相争ひき 神代(かむよ)より かくにあるらし
古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき
中大兄皇子 万葉集 巻第1-13
我はそなたが愛しい。香具山は、畝傍山が愛しい。奪われたくはない故に、耳成山と争うのだ。遠い昔も、こうだった。そして今の時代も、二人で一人の女を奪い合うのだ

※訳は「朱花の月」公式サイトより


山たちが三角関係で争うという、何ともスケールの大きな歌ですね。この歌には様々な解釈があり、香久山・耳成山と畝傍山、どちらを男性としてどちらを女性とするかが定まっていないそうです。二人の男性が一人の女声を争うのか、二人の女性が争うのかでは、印象がガラリと違ってきます。

この歌を詠んだ中大兄皇子には、「大海人皇子(後の天武天皇)」という弟がいました。女流万葉歌人として有名な「額田王(ぬかたのおおきみ)」は、当初は弟の大海人皇子の妻であり、娘・十市皇女をもうけていますが、後にその兄の天智天皇の妻となっています。

真実は定かではありませんが、この三角関係が、後の大乱・壬申の乱の一因となったとする説もあるほど、日本の中心の天皇家を舞台にした壮大なもので、今でも語り継がれているのです。


タイトルの「朱花(はねづ)」とは

映画のタイトルにもなっている「朱花(はねづ)」も、万葉歌からとられています。



『朱花(はねづ)』とは

万葉集に登場する朱色の花。赤は血や太陽、炎を象徴する一方、もっとも褪せやすいがゆえに、貴重な色とされている。その褪せやすさに重なる人の世の無常や儚さを、タイトルに託している。


万葉集の歌の中では、「はねず色」という色名として詠まれているものが多く、「翼酢色」という漢字が当てられています。有名な歌としては、数多くの恋の歌を残した「大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)」(Wikipedia)のものでしょう。その他にも、主に褪せやすい、移ろいやすいものの意味として使用されています。

思はじと 言ひてしものを はねず色の
うつろひやすき 我が心かも
大伴坂上郎女 万葉集 巻第4-657
あんな人のことなどもう思うまいと口に出して言ったのに、なんとまぁ変わりやすい私の心なんだろう。またも恋しくなるとは。
はねず色の うつろひやすき 心あれば
年をぞ来経(きふ)る 言(こと)は絶えずて
作者不詳 万葉集 巻第12-3074
変わりやすいはねずの花の色のような移り気な心をお持ちなので、お逢いできないまま年月を過ごしてきました。言伝てだけは絶やさずに。


また、朱色を表す意味として「はねず色」が用いられている歌もあります。主人公の加夜子は染色家で、朱花という色に魅せられその色合いを再現しようとしていますので、この歌などがイメージにあったのかもしれませんね。

山吹の にほへる妹が はねず色の
赤裳(あかも)の姿 夢に見えつつ
作者不詳 万葉集 巻第11-2786
咲きにおう山吹の花のようにあでやかな子の、はねず色の赤裳を着けた姿、その姿が夢に見えて…


万葉歌「燃ゆる火も 取りて包みて 袋には…」

また、劇中で加夜子が口ずさむ歌は、「一書に曰はく、天皇の崩りましし時の太上天皇の御製歌2首」と題されたもの。持統天皇が、夫の天武天皇の崩御の際に詠んだとされる2首のうちの1首です。

燃ゆる火も 取りて包みて 袋には
入(い)ると言はずやも 智男雲
持統天皇 万葉集 巻第2-160
燃えさかる火さえも手に取って袋に入れることができるというではないか。智男雲。

最後の「智男雲」の部分は、読み方が定まっていません(万葉集にはよくあることです)。映画の中でこの部分をどう処理していたのか、残念ながら記憶にありませんが、「炎さえ持ち運べるのに、何で人の命はそうはできないのか」という意味合いになっていたと思います。

この歌について、Twitterの知り合いの「さららん(@sara_sararan)」さんが、こんな深い読みをしていました。なるほど!


『朱花の月』…結末がいろんな意味に取れてその答えは一つだけではないように思うんだけど、その事がこの映画の大事なモチーフの一つなっている万葉歌「燃ゆる火の…」の最後の部分「面智男雲」が難訓とされていてそれ故にいろんな解釈がある事とシンクロしていて面白いな・・とふと思った。less than a minute ago via ついっぷる/twipple Favorite Retweet Reply


映画のエンディングが様々な受け取れるだけに、これは面白いですね。観終わった後も不思議な余韻が残る映画でした!


映画「朱花(はねづ)の月」オフィシャルサイト
映画『朱花の月』公式ツイッター (@HANEZU_movie)


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