2014-10-08

奈良県最小の町をのんびりウォーク@三宅町てくてく歩き

奈良県最小の町をのんびりウォーク@三宅町てくてく歩き

面積わずか「約4平方キロ」という、奈良県で最小の町・三宅町(みやけちょう)を歩いてきました。町の中心を聖徳太子ゆかりの「太子道」が通っていて、太子ゆかりの場所などもあります。あざさの花・恋人の聖地・杵築神社・三宅古墳群・忍性菩薩生誕地・おかげまいり絵馬・丹波佐吉の狛犬など、小さな町ながら楽しいお散歩になりました!


約4平方キロ!グローブ製造が盛んな三宅町

奈良県磯城郡(しきぐん)に属する「三宅町(みやけちょう)」(Wikipedia)。スポーツ用品の製造が盛んで、グローブ・野球用スパイクの出荷量は全国有数です。

その面積はわずか「4.07平方キロ」というコンパクトさで、奈良県内で最小の市町村です。奈良県全体の面積が「3,691平方キロ」ですから、わずか0.1%に過ぎません。人口は約7,200人(2014年10月現在)です。

私たちはこれまで奈良県内のいろんなところへ出かけてきましたが、三宅町だけはじっくりと見たことがありませんでした。この日は観光パンフレットに従って、お散歩がてら三宅町の一部を歩いてみましたので、簡単にその模様をレポートしておきます。


ぶらぶらウォーキング@三宅町-01

三宅町役場の近くにあった「三宅の里 見どころ散策MAP」。太子道・杵築神社・三宅古墳群など、見どころが記してあります。役場などで詳しい観光マップなども手に入ります。ネットからは三宅町公式ページの「町の史跡紹介」をご覧ください

ぶらぶらウォーキング@三宅町-02
三宅町の名前の由来になった「三宅の原」。『万葉集に出てくる三宅ヶ原が、古代天皇の稲作の御料地「屯倉(みやけ)」「屯田(みた)」と考えるなら、現在の三宅町及びその近傍が、三宅の原と呼ばれていたと考えられる』。早くから屯倉が開拓され、豊かな穀倉地帯だったのでしょう

ぶらぶらウォーキング@三宅町-03
三宅町の町内のいたるところで見られるのが、万葉集の歌にも詠まれた「あざさ(学名:アサザ)」。三宅町の町花にもなっています。初夏から初秋にかけて、早朝に黄色い花を咲かせる水草で、準絶滅危惧種に指定されているとか

ぶらぶらウォーキング@三宅町-04
万葉歌「うち日さつ 三宅の原ゆ」で始まる長歌と、その反歌「父母(ちちはは)に 知らせぬ子ゆゑ 三宅道(みやけぢ)の 夏野の草を なづみ来るかも」(作者未詳 巻13-3295、3296。参考ページ)で、三宅の原とあざさの花が詠まれています。美しい愛を歌っていることから「愛の花」と呼んでいるそうです

ぶらぶらウォーキング@三宅町-06
あざさ=愛の花の流れで、2014年9月、NPO法人「地域活性化支援センター」が選定する「恋人の聖地」(詳細)に三宅町が選ばれました!大きなハート型背もたれのラブチェアがあり、金色の銘板はデザイナー桂由美さんが揮毫したもの。ぜひ恋人同士で訪れてみてください!


聖徳太子の通勤ルート「太子道」

ぶらぶらウォーキング@三宅町-07
三宅町の中心部を通る「太子道(たいしみち)」。法隆寺建立のため、聖徳太子が「飛鳥の里」から「三宅の原」を経て「斑鳩の里」を往復した道(その距離20kmだとか!)とされています。他の古道のようにはっきりと東西南北を向いておらず、北北西の筋交い道となっています

ぶらぶらウォーキング@三宅町-08
現在の太子道は、かなり細かく折れています。伴堂出屋敷の「迷路」では、外敵との交戦の際に防ぎやすくするため、あえて袋小路やL型・T型などの道を作り、直進しづらくしてあるそうです


伴堂杵築神社には貴重な絵馬や狛犬が

ぶらぶらウォーキング@三宅町-09
三宅町には杵築神社(=出雲大社)が多く、伊勢神宮へのおかげ参りにまつわる絵馬が多く遺されています。道順はやや前後しますが、三宅町役場の近くにある「伴堂おかげ会館」(自治会のコミュニティーセンター)の入口部分に絵馬の複製があります

ぶらぶらウォーキング@三宅町-10
奈良県指定有形民族文化財に指定されている「伴堂(ともんど)のおかげ踊り絵馬」(三面)の複製。伴堂杵築神社に1868年(慶応4年)に奉納されたものの復元図です。おかげ踊りとは、伊勢神宮へ参拝する「おかげ参り」のあとでみんなで踊る風習のこと。次第に賑やかになり、お祭り化していったようです

ぶらぶらウォーキング@三宅町-11
三宅町「伴堂杵築神社」。御祭神は須佐男命(スサノオノミコト)です

ぶらぶらウォーキング@三宅町-12
伴堂杵築神社のすらりとした狛犬(吽形)。名石工として知られる「丹波佐吉」の1859年の作だとか(参考サイト

ぶらぶらウォーキング@三宅町-13
伴堂杵築神社の狛犬(阿形)。この辺りには、同じ丹波佐吉作の狛犬がいくつも見られるのだとか。調べて追いかけてみたいですね!

ぶらぶらウォーキング@三宅町-14
伴堂杵築神社の拝殿には、おかげ踊り(なもで踊り)を描いた貴重な絵馬が収められていて、外から見られます。向って左手の壁面には、伴堂おかげ会館で複製図をみた絵馬も飾られていました


鎌倉時代の高僧「忍性菩薩」生誕地の石碑

ぶらぶらウォーキング@三宅町-16
1217年、現在の三宅町屏風(びょうぶ)の地で生まれた、鎌倉時代の名僧「忍性(にんしょう)菩薩」(Wikipedia)を讃えた「忍性菩薩御誕生之地石碑」。

ぶらぶらウォーキング@三宅町-17
忍性菩薩は大和郡山市・額安寺で剃髪、西大寺中興の祖・叡尊上人に師事し、奈良坂の般若寺などを拠点として、貧窮者やらい病者の救済に生涯を捧げた高僧です。奈良県内の額安寺・生駒市の竹林寺・奈良坂の北山十八間戸などとともに足跡を訪ねてみるといいですね


屏風杵築神社の「太子接待の絵馬」など

ぶらぶらウォーキング@三宅町-18
三宅町屏風にある「屏風杵築神社」。こちらも御祭神は須佐男命(スサノオノミコト)です。ここの拝殿にもたくさんの絵馬がかかっています

ぶらぶらウォーキング@三宅町-20
屏風杵築神社の「おかげまいり絵馬」。1868年(慶応4年)に奉納されたもので、伊勢太神宮の旗を立てて40人ほどの方たちが踊りゆく姿を描いています。拝殿の中には入れませんが、外からでもはっきりと見えました

ぶらぶらウォーキング@三宅町-21
拝殿の脇の壁面にある「太子接待の絵馬」。1777年(安永6年)に奉納されたもので、村人たちが聖徳太子にお菓子などを献上してもてなしている姿を描いたものだとか!どんな功徳を願ったのかは分かりませんが、ご利益ありそうです(笑)

ぶらぶらウォーキング@三宅町-22
同じく屏風杵築神社の境内にある「屏風の清水」。聖徳太子がここを通った際、飲水が見つからなかったところ、ここを従者の弓でひと突きすると、こんこんときれいな水がわき出してきたとか。この井戸を「矢じりの井戸」と名づけて大切に使ってきたそうです。現在は埋められてしまっています


屏風白山神社には聖徳太子「腰掛石」が

ぶらぶらウォーキング@三宅町-23
屏風杵築神社の向かいにある「屏風白山神社」。太子道を往く聖徳太子の像があります。愛馬・黒駒に乗り、従者は調子麿(ちょうしまろ)。昭和5年に建てられた初代像は、戦争中の金属供出で取り壊され、後から立て直したものです

ぶらぶらウォーキング@三宅町-24
斑鳩宮から小墾田宮へ通う途中、聖徳太子が休憩したと伝わる「腰掛石」。その際に屏風を立てて太子をもてなしたことから、ここの地名が「屏風」になったとか。境内には愛馬・黒駒をつないだ「駒つなぎの柳」もあります


但馬杵築神社の鎌倉時代の「石造十三重塔」

ぶらぶらウォーキング@三宅町-32
順番は前後しますが、こちらは三宅町但馬にある「但馬杵築神社」。もちろん、こちらも須佐男命を祀るお社です。境内には薬師堂などもあり、神仏習合の気配が色濃く残ります。本殿のすぐ脇には、霊験あらたかな雨乞いの神様「多度神社」が祀られていますが、あまりよく見えませんでした

ぶらぶらウォーキング@三宅町-33
境内の鏡池のほとりに建つ「石造十三重塔」。1319年(元応元年)の造立で、三宅町に残る石造物としてはもっとも古いものだとか。もとは天理市の常福寺に建っていましたが、明治維新の際の廃仏毀釈で廃寺となり、ここへ移築されたそうです。姿が美しい石塔ですね

ぶらぶらウォーキング@三宅町-34
基礎部分には金剛界四仏(不空成就・阿しゅく・宝生・阿弥陀)を示す梵字がくっきりと刻まれています。高さ約350cm、相輪部分は欠損していますが、隣接する西道寺の五輪塔へ転用されているのだとか

ぶらぶらウォーキング@三宅町-31
但馬の集落は、もともと但馬国(兵庫県の日本海側)の住民が移り住んだ土地と伝わるそうです。川が氾濫しやすい上、用水不足にも悩まされ、日照りに強い綿や菜種が栽培されました。それらの作物を運び出したのが「但馬のはま」と呼ばれる飛鳥川筋の船着場でした。江戸時代には100隻もの船が行き交っていましたが、明治25年の鉄道開通により姿を消しました

ぶらぶらウォーキング@三宅町-30
近鉄田原本線の小さな無人駅「但馬駅」。近鉄沿線で生まれ育った嫁によると、「昔からある懐かしいタイプの駅舎」とのこと。色使いや形など、1980年代の空気感があります。駅周辺ののどかさ(≒何も無さ)はトップクラスかも!


田んぼの中の小型前方小円墳「三宅古墳群」

ぶらぶらウォーキング@三宅町-26
屏風地区から但馬地区の間には、5世紀後半の小型の前方後円墳が中心となった「三宅古墳群」があります。地名として今も残る但馬・石見・三河などから使役人を集め、この地方の開拓を指揮した豪族たちの墳墓だと考えられています。写真は「茄子塚古墳」。田んぼに囲まれているのが不思議な感じですね

ぶらぶらウォーキング@三宅町-27
三宅古墳群の「高山古墳」。小型の前方後円墳で、道路工事の際にたくさんの円筒埴輪の破片が出土したとか。すっかり畑になってしまって、説明の板がないと古墳だと気づかないくらいです。マップに掲載されている古墳でも、なかなか見つかりません(笑)

ぶらぶらウォーキング@三宅町-28
これは(おそらく)「瓢箪山古墳」。墳丘の頂部に祠があるとか。全長35mの前方後円墳が、普通に田んぼの真中にぽつりと残っているのがすごいですね!

ぶらぶらウォーキング@三宅町-36
大きな木が建っているのが、但馬地区の円墳「天王塚古墳」。小学校のすぐ脇にあります。天王という名前がつけられているからには、おそらく豪族のトップが葬られたのでしょう

ぶらぶらウォーキング@三宅町-35
太子道など、古くからの主要街道沿いらしく、通り沿いにはたくさんのお地蔵様が祀られていました。いろんな時代の、いろんなタイプのものが見られます

ぶらぶらウォーキング@三宅町-38
美しい夕暮れ時の光景。今回は伴堂・屏風・但馬を歩いたので、次回は石見・三河・小柳などにも行きたいと思います


■三宅町

HP: http://www.town.miyake.nara.jp/
住所: 奈良県磯城郡三宅町

※実際に町を歩いたのは「2014年9月28日」でした。


■参考にさせていただきました

三宅町 - Wikipedia
三宅町商工会










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