2013-01-28

可憐な『蝋梅(ロウバイ)』を見てきました@明日香村八釣

可憐な『蝋梅(ロウバイ)』を見てきました@明日香村八釣

真冬に可憐な花を咲かせる『蝋梅(ろうばい)』。奈良県立万葉文化館から程近い、明日香村八釣(やつり)にまとまって植わっている場所があると伺ったので、さっそく観てきました。花は小さいんですが、とってもいい香りがするんです!


奈良県内で「蝋梅の名所」といえば?

1月末~2月初旬頃にかけて見頃をむかえる「蝋梅(ロウバイ)」の花。他に花の姿が無い真冬にひっそりと咲く可憐な花で、よく奈良のお寺の庭先で見かけます。しかし、どこも1~2本植わっているくらいの規模ですから、わざわざ蝋梅を見るために出かけるということは、これまで考えたことがありませんでした。

しかし、つい先日、Twitterでこんなご質問をいただいたことから、話が急展開しました!


手元の本などで調べてみると、蝋梅の名所として名前が上がるのは、明日香村八釣、奈良市・元興寺、葛城市・石光寺、桜井市・長谷寺などのようです。


奈良県立万葉文化館」のスタッフの方までご登場いただいて、こんな風に盛り上がれるのがTwitterの面白さですね!せっかくですから、その翌日、さっそく明日香村八釣(やつり)のロウバイを拝見してきました。


川の周りに何本もまとめて植わっています

ロウバイの名所として名前が上がっていた明日香村の「八釣(やつり)」は、明日香村飛鳥にある「奈良県立万葉文化館」さんの北東側、徒歩10分くらいの距離にあります。15号線に「万葉文化館前」という交差点がありますが、そこから少し北側ですね。

ロウバイの木は、この地区を流れる川(古くは「八釣川」と呼んだそうです)の両脇にあります。細い川を挟むように、何本ものロウバイが並んでいました!お庭などでは単独で植わっている印象がある木ですから、ここまで数が集まっているのは初めて見ました。この道は何度も何度も通っていますが、こんな場所があったことは全く気づきませんでした!

ただし、道路の間際にあるのと、すぐ脇の民家の駐車場のようなスペースがゴチャっとしているため、残念ながらそれほど風情のあるものでは……。

また、ロウバイは花が小さく色が淡いので、私たちが使用しているコンデジくらいではきれいに写りません。写真ではあまり魅力が伝わらないと思いますが、その場へ行ってみると、しっかりと甘い香りが漂ってきます。花の姿がほとんど見られないこの時期に、姿も香りも楽しませてくれる貴重な存在ですね。


蝋梅の花@明日香村八釣-01

万葉歌にもその名前が詠まれた、明日香村の「八釣(やつり)」。この八釣橋のもう少し南側に、蝋梅(ロウバイ)の木がまとまって植わっています

蝋梅の花@明日香村八釣-03
小さなショップのような建物に駐車場があり、その裏側に見える淡い黄色が、すべてロウバイの花です。資材などが置かれていて、あまり風情はありませんが、これだけまとまってロウバイがあるのは珍しいですね

蝋梅の花@明日香村八釣-04
小屋の裏側はこんな感じ。他所さまの土地ですから、無断で立ち入らないようにしましょう

蝋梅の花@明日香村八釣-05
手前の木に遮られてよく見えませんが、小さな小川の脇に植えられています

蝋梅の花@明日香村八釣-06
蝋梅の花は小さくて淡いので、私たちが使っているようなコンデジレベルではあまりきれいに写りませんが、実際には見事な眺めでした。何よりも甘い香りが立ち込めていていいですね。車で通り過ぎるだけでは気づかないでしょう

蝋梅の花@明日香村八釣-07
道路を挟んで、1本だけロウバイが植わっています。すぐ後ろがビニールハウスなので、撮影はやや難しいですが、こちらであればアップで撮影できます

蝋梅の花@明日香村八釣-08

蝋梅の花@明日香村八釣-09
可憐なロウバイの花は、下向きに咲きます。まだつぼみも多く、見頃は1月下旬~2月初旬といったところでしょうか。蝋梅という名前の由来は、花が蝋(ろう)で固められたような姿であること、そして臘月(ろうげつ。旧暦12月)に咲くことから、この名前で呼ばれるようになったとか。名前に梅と入っていますが、ロウバイ科ロウバイ属の植物です

蝋梅の花@明日香村八釣-10

蝋梅の花@明日香村八釣-11


万葉歌「矢釣山 木立も見えず 降りまがひ…」

矢釣山 木立も見えず 降りまがひ
雪に騒ける 朝(あした)楽しも
柿本朝臣人麿 万葉集 巻3-262
矢釣山、この山の木立も見えないほどに降り乱れて、雪のさわさわと積もるこの朝の何と心楽しいことよ

明日香村八釣に邸宅があった新田部親王に献じた歌です。「矢釣山」は、八釣にある小さな山。雪の日の様子が連想されます。


万葉歌「八釣川 水底絶へず 行く水の…」

八釣川 水底(みなそこ)絶へず 行く水の
継ぎてぞ恋ふる この年ころを
柿本朝臣人麿 万葉集 巻12-2860
八釣川の川底を絶えることなく流れていく水のように、ひっきりなしに心の中で恋い焦がれている。この何年もの間を

八釣川を含む上三句は、下の句を引き出す序であり、実際に八釣で詠んだ歌では無いでしょう。ずっと変わらないもののイメージとして八釣川の名前が出ていますが、姿は変われど、千年以上も経った今でも川は流れ続けています。



大きな地図で見る

※余談になりますが、八釣の付近には、第23代・顕宗(けんぞう)天皇(Wikipedia)の都「近飛鳥八釣宮」があったと考えられています。






  • Twitterでフォローする
  • Facebookページを見る
  • Instagramを見る
  • ブログ記事の一覧を見る







メニューを表示
ページトップへ