2011-08-28

「古事記」編纂の主要人物『太安萬侶墓』@奈良市田原

「古事記」編纂の主要人物『太安萬侶墓』@奈良市田原

古事記編纂の中心人物である「太安萬侶」が眠る、奈良市東部・田原の里にある『太安萬侶墓』へお参りしてきました。茶畑の急斜面にあり、お墓からは見渡すかぎり茶畑が広がり、すぐ傍らには桜の木も植えられています。奈良時代の有名高級官僚は、素晴らしい場所に眠っていました。


茶畑が美しい田原の里に眠っています

「太安萬侶(おおのやすまろ。太安万呂・太安麻呂とも)」は、711年9月、元明天皇から、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦する「帝紀」「旧辞」を筆録するよう命じられ、712年『古事記』として献上した人物です。

国史跡『太安萬侶墓』は、1979年、奈良盆地の東部、田原の里の通称「トンボ山」の茶畑の斜面で発見されました。火葬されており、墳墓は木櫃の周囲を木炭で覆ったもの。木櫃の底の部分からは「太安萬侶墓誌(重文)」が発見され、この新発見に、当時は大きな話題となったそうです。

『太安萬侶墓』がある田原地区は、奈良市東部ののどかな場所で、いたるところに茶畑が広がっていました。この辺りは、カンヌ映画祭で審査員特別大賞を受賞した、奈良在住の映画監督、河瀬直美さんの作品『殯の森』の舞台にもなった、本当にのどかで美しい場所です。

太安萬侶墓の辺りには駐車場はありませんが、すぐ前に公衆トイレがあり、その付近の路肩が広くなっていて短時間なら車が停められそうでした。また、距離は短いながらも、茶畑の真ん中の急斜面を上りますので、歩きやすい靴を履いていった方がいいでしょう。


太安萬侶墓@奈良市田原-01

奈良市東部にある「田原の里」。ここに『古事記』編纂の中心人物であった太安萬侶(おおのやすまろ)の墓があります。急斜面の茶畑の中にあり、1979年の発見当時は大騒ぎだったとか。駐車場はありませんが、路肩が大きく広がっていますので、短時間なら停車できそうです。道路脇に立派な公衆トイレも作ってありました!

太安萬侶墓@奈良市田原-02
「史跡 太安萬侶墓」の道しるべと近隣の観光マップ。斜面は見渡すかぎりの茶畑で、上に見える白い部分が太安萬侶墓です。近くに光仁天皇陵(田原東陵)・春日宮天皇陵(田原西稜。志貴皇子のお墓)などもありますので、合わせてどうぞ

太安萬侶墓@奈良市田原-04
下から見上げた図。茶畑と風車と白い雲。とても気持ちのいいお天気でした

太安萬侶墓@奈良市田原-05
茶畑の間の細い道を歩いた先に太安萬侶墓があります。距離はそれほどではありませんが、ふくらはぎが張るほどの急斜面でした。ヒールのある靴などは避けた方が安全かもしれません。この辺りでお茶の栽培をなさっている方も大変ですね


奈良時代の高級官僚のお墓は小さな円墳

太安萬侶の墓は、見晴らしのいい斜面にある、小さな円墳でした。こんなところに、こんな重要人物のお墓が眠っているなんて想像もできないでしょうし、発見者の方もさぞ驚いたことでしょう。



太安萬侶墓は、東山山中の田原の里に所在する奈良時代の火葬墓である。

昭和五四年一月、竹西英夫氏によって茶の改植中に発見されたもので、出土した銅製墓誌により、古事記の編者として有名な太安萬侶の墓であることが明らかになった。墓誌には「左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之養老七年(七ニ三年)十二月十五日乙巳」の四十一文字が刻まれ、居住地。位階と勲等、死亡年月日、埋葬年月日を記してある。

墳丘は直径四.五メートルの円墳と推定され、埋葬施設は中心部に墓コウ(土偏に広)を掘り、底に木炭を敷いて墓誌を置きその上に木櫃(きびつ)を安置し、四周と上面を木炭で覆った木炭槨であった。さらに、その上の墓コウ全体にうすく木炭を敷いた後、砂質土を版築状に硬くつき固め、木櫃の中には火葬骨、真珠等が収めてあった。
奈良時代上級官人の墓としては、このように規模、構造、遺物の出土状況が明らかにされた例は極めて稀であり、昭和五五年二月一九日史跡に指定された。


説明看板より


古事記の編纂にあたった太安萬侶や稗田阿礼については、その役割などに懐疑的な説があるようです。私にはその判断は出来ませんが、平城京で大役を無事に成し遂げた官僚が眠る土地ですから、感謝の念を捧げておきたいですね。こんな素晴らしい土地で眠っていることに安心しました!


太安萬侶墓@奈良市田原-06

国史跡「太安萬侶墓」の全体図。急斜面にあるのが分かります。奥には大きな桜の樹が植わっていて、春は美しいでしょうね

太安萬侶墓@奈良市田原-07
「史跡 太安萬侶墓」の石碑と墳丘部分。当時の上級官人でしたが、大きな古墳が作られるような身分ではありません。この規模の墓が現代まで遺っているのは奇跡的なんでしょうね

太安萬侶墓@奈良市田原-08
現地にある説明看板。向かって左手の写真が、墓から出てきた墓誌です

太安萬侶墓@奈良市田原-10
太安萬侶墓からの田原の里の眺め。素晴らしい場所に葬られています



より大きな地図で 太安萬侶墓 を表示


■太安萬侶墓

HP: 参考サイト(Wikipedia)
住所: 奈良県奈良市此瀬町
アクセス: JR・近鉄「奈良駅」から、田原方面行きバス「田原横田」下車、徒歩約20分

※ちなみに、稗田阿礼は、大和郡山市稗田町の「賣太神社(めたじんじゃ。または売太神社。Wikipedia)」の主祭神となっています


■参考にさせていただきました!

古事記を編纂した天才的文官、太安万侶の墓へ(記紀ルート05)|歩く・なら
「やすまろさんや!」太安万侶墓、発見のエピソード1(コラム)|歩く・なら
太安萬侶墓誌/癸亥年七月六日在銘/奈良県奈良市此瀬町出土 文化遺産オンライン


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