2017-02-09

【雑文】はじめに ── 雑文を書く理由

【雑文】はじめに ── 雑文を書く理由

奈良に移り住んで、早いものでもう十数年が経った。大和盆地の隅っこから、奈良出身の妻と二人で、県内のさまざまなスポットを見て歩き、ブログやSNSでそれを発信してきた。十年を超えてこんなことを続けていることに自分で驚きながらも、まだまだネタは尽きない。飽きたりすることもない。ありがたいことだ。

しかし、十年も続いたからこそ、少しずつ変化が必要なようだ。


これまでの活動の中で、あえて「自分の言葉で語る」ということを避けてきた。私という個人をなるべく出さないよう、客観的で第三者的、ライター的な立ち位置であることをルールとしてきた。

テンションの上げ下げは控えめに。冷静さを失わずに。自分のフィルターは通すものの、アウトプットは極力シンプルに。上手い言い回しや比喩表現なども探さなかった。

これは記事を量産する秘訣でもある。同時に、「個が出すぎない記事を積み重ねることでこそ伝わるものがあるはずだ」と信じていた部分でもある。

もともと熱を込めて人に何かを勧めたりするのは、照れくさくて苦手なのだ。あまり「奈良が好きだ」と口に出したこともない。ましてやその理由を語ったこともない。自分は自分、他人は他人。自らの領域に人を引っ張り込もうとしなくても、そういう人は自然と近づいてきてくれる。「あの人、地味に毎日楽しそう」そんな人物に見られることを目指してきた。

しかし、「そろそろ自分の好きな物について、自分の言葉で語りたい」と思い始めてもいる。これまでのスタイルの代償として「自分の言葉で物事を語る」という力が衰えてきたことを実感することもあり、わずかな焦りもある。

さらに言えば、自分の好きな店や場所へ行ってそれを紹介するという、今のスタイルに限界も感じている、「あと10年、ずっとこれを続けられるか?」と考えると、無邪気にYESとはいえない。

いずれにしても、時間をかけて身につけた、細く長く活動を続けるための戦術にも、そろそろ変更が必要な段階に来ているようだ。きっと、今がそんなタイミングなのだろう。外から見たら、たいした変化量ではないとは思うけど。

それはリハビリであり、自分へのご褒美でもある。スタイルを変えることによって、これから先の十年間も、今までと同じ熱量を保ちながら遊び続けられるかもしれない。誰からも必要とされず忘れ去られていくことになるかもしれないが、それも仕方ない。

気の置けない友人たちとの酒盛りの席のように、妻との何気ない会話のように。こびりついてしまった手クセを矯正しながら、自分自身の言葉でなにかを表現していきたいと思う。


……ということで、これから奈良に関すること、それ以外の雑文なども書いていきます。世相も巨悪も斬りませんし、ペンで世直しも目指しません。淡々と思ったことを書き連ねるだけです。

よろしければお付き合いくださいませ。










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