2013-07-19

「古事記伝」著者の『本居宣長記念館』@三重県松阪市

「古事記伝」著者の『本居宣長記念館』@三重県松阪市

三重県松阪市にある、江戸時代の国学者「本居宣長」ゆかりの品々を展示した『本居宣長記念館』へ行ってきました。当時すでに解読不可能になっていた古事記を読み解いた「古事記伝」を35年かけて著した方で「本居宣長旧宅」なども拝見できます。この一帯は史跡「松阪城跡」ですし、見事な石垣など見どころが多い場所でした!


町医者であり国学者。古典研究の偉人です

三重県松阪市は、江戸時代に解読不可能になっていた古事記を読み解いた『古事記伝』を著した、江戸時代の国学者「本居宣長(もとおりのりなが)」(Wikipedia)の生誕地です。

松阪市内にある「史跡 松阪城跡」の敷地内に、市内の別の場所から移築された住居「本居宣長旧宅」(国特別史跡)と、ゆかりの品々を一般公開した『本居宣長記念館』はあります。


本居宣長(モトオリ・ノリナガ)

享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)
18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂(三重県松阪市)の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。
医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。
鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。


松阪市に生まれた本居宣長は、終生この地で過ごしました。裕福な商家に育ちますが、自身は町医者として朝から晩まで患者の家をまわり、夜になると自宅2階の書斎「鈴屋(すずのや)」にこもって古事記など、日本の古典の研究を続け、35年間かけて研究書『古事記伝』を完成させました。

江戸時代の中期にもなると、すでに古事記の存在は顧みられておらず、ほぼ解読不能な古文書となっていたそうです。現在私たちが古事記のお話を読めるのも、この方の功績が大きいと言えるでしょう。

展示内容はかなり渋めで、何の知識もない方がいきなり行って楽しめるようなものではありませんが、古事記の物語に親しんだ者にとってはとても興味深かったです。本居宣長記念館が所蔵する品は、2千点近くも国の重要文化財に指定されているというのですから、資料的な価値も高いのでしょうね。


本居宣長記念館@三重県松阪市-01

三重県松阪市にある『本居宣長記念館』の建物。学校や博物館らしい、よく言えば簡素で重厚、悪く言えば垢抜けない建物です。この日は酷暑の真夏日でしたので、館内の涼しさがありがたかったです

本居宣長記念館@三重県松阪市-02
入り口脇にあった本居宣長先生の顔ハメ看板。これは恐れ多い(笑)

本居宣長記念館@三重県松阪市-03
1階が受付とロビー、2階部分が展示室になっています。静かな部屋に、ガラスケースに入れられた古文書が並んでいる感じ、いいですよね!

本居宣長記念館@三重県松阪市-04
肖像画としてもっとも有名な「本居宣長六十一歳自画自賛像」(複製)。61歳の時に、自ら絵筆をとって描いたのだとか。画才もあったんですね!

本居宣長記念館@三重県松阪市-05
「松坂の一夜」を描いた絵。古事記の研究がなかなか進まずに悩んでいた1763年、伊勢参拝の途中で松阪に泊まった、江戸の著名な国学者「賀茂真淵(かものまぶち)」と一夜限りの対面を果たし、まずは「万葉集」の研究から始めると良いとのアドバイスを受けます。この日以降、二人で手紙のやり取りが続けられました

本居宣長記念館@三重県松阪市-06
「古事記伝御題字」(重文)。宣長がすでに亡くなっている1822年、古事記伝の44冊すべての出版が終わります。その際に、紀州藩主・徳川治宝に賜った題字です。宣長の遺志に従って序文を賜ることを願い出たのですが、高位な御三家という立場でもあり、題字だけになったのだそうです

本居宣長記念館@三重県松阪市-08
『古事記伝』版本。最初のページが開いてありましたが、「天浮橋(アマノウキハシ)」「許袁呂許袁呂(コオロコオロ)」「淤能碁呂嶋(オノゴロシマ)」など、お馴染みの独特の単語が見られて楽しいです!

本居宣長記念館@三重県松阪市-09
上が『古事記伝』、下が『源氏物語玉の小櫛』の版木です。これで本を作っていたんですから、時間がかかるのは当然ですよね

本居宣長記念館@三重県松阪市-10
宣長が持っていた『古事記』(重文)。たくさんの書き込みや付箋が見えて、研究のあとが伝わってきます。展示されていたのは下巻で、日本最古の「真福寺本古事記」の写本を見たことが書かれています。ちなみに、真福寺は名古屋・大須観音のこと。ここに伝わる古事記も複製が展示されていました

本居宣長記念館@三重県松阪市-11
宣長が写した『大和諸郡図』(重文)。大和国の地図を8枚に分けて写したもので、古事記伝を執筆する際の参考にしたものだとか。写真は宇多郡(宇陀)のもので、吉野のものも展示してありました。今も残っている室生や大蔵などの地名も多いのですが、聞いたことのない地名もあり、じっくり観ても飽きません

本居宣長記念館@三重県松阪市-07
生前に使用していた文机など。大好きだった「鈴」のコレクションがあったり、とても興味深い展示でした!


「本居宣長旧宅」の2階書斎が「鈴屋」です

本居宣長記念館に隣接して、国特別史跡「本居宣長旧宅」があります(詳しくはこちら)。記念館を拝観してから、こちらも見学させてもらいましょう。

ここは、1691年に松阪職人町に建てられたもので、後に魚町に移築され、宣長が12歳から72歳までの60年間もこの家で暮らしました。明治になって保存のため現在地へ移築され、当時の姿に復元しています。

1階が町医者として患者を診た「店の間」や居住スペースで、夜にはここで教えを請う者たちに古典の講義も行なっていたのだとか。2階部分は書斎「鈴屋」があります。研究に没頭するために53歳の時に増築したもの。老朽化のため、残念ながら2階へは上がれないようになっていますが、石垣の上に見学場所があって、そこから内部を拝見できます。

この日はボランティアガイドの方の解説を伺いながら見学しましたが、とてもドラマティックで面白いですね。何も知識がなければただの古い家屋に過ぎませんが、解説が加わると当時の様子がまざまざと浮かび上がってくるようでした。


本居宣長旧宅@三重県松阪市-13

国特別史跡「本居宣長旧宅」。記念館のすぐお隣に移築されています。とても豪勢で趣きのある家ですが、家業の木綿問屋が盛んだったころ隠居用として建てられたものなのだとか。宣長はこの家に60年も住み続けました

本居宣長旧宅@三重県松阪市-14
2階が本居宣長の書斎「鈴屋(すずのや)」です。今は上がることは出来なくなっているため、ここから遠目に拝見します。床の間にかかっている軸は「県居大人之霊位(賀茂真淵の御霊)」。ずっと賀茂真淵を崇拝していたそうです。宣長が鈴屋へ上がる時は、長男・春庭だけを連れていました。幼いころから薄暗い部屋で目を酷使したため、後に失明する原因になったのでは…という説明もありました

本居宣長旧宅@三重県松阪市-16
本居宣長旧宅の1階部分。「奥中の間」あたりで患者を診るのですが、実際にはずっと往診に出っぱなしでわずかな金額を稼いでいて、ずっと貧しいままだったとか。夜になると教えを請う者たちがこの広間にずらりと並んだそうです

本居宣長旧宅@三重県松阪市-17
2階の書斎・鈴屋へ上がるための箱階段。今は外してありますが、何年か前まで使用されていて、観光客が2階へ上がる際にもこれを使っていたのだとか(現在は2階へは上がれません)

本居宣長旧宅@三重県松阪市-18
土間の天井部分には、明かり取り窓に「ガラス」が入っています。その当時のガラスは超高級品で、家業が盛んだった当時の威勢を伝えています

本居宣長旧宅@三重県松阪市-20
こちらは、本居宣長旧宅に隣接して建つ、国登録有形文化財「鈴屋遺蹟保存会 旧事務所」です。明治42年に旧宅がここへ移築された際に建てられたもので、入口部分は堂々たる唐破風屋根、内部は和洋折衷となっています。明治天皇から多大な御下賜もあり、とても豪勢に作られたようです

本居宣長旧宅@三重県松阪市-21
この時代の建物は細部がかっこいいですね。現在は誰でも入れる休憩所になっていて、この日は暑かったので、冷たいお茶をいただきました!


松阪城跡の見事な石垣と重文「御城番屋敷」

本居宣長記念館のある一帯は「国史跡 松坂城跡」です。松阪城は1584年に蒲生氏郷が築いた城で、城郭はありませんが見事な石垣が遺されており、日本百名城(Wikipedia)の一つなのだとか。時間もなくて詳しくは見て歩けませんでしたが、石垣の見事さは十分に感じられました。

また、松阪城跡のすぐ南側に、石畳の両脇に長屋型の建物が伸びる、ちょっと不思議な建物『御城番屋敷』(重文)があります(Wikipedia)。ここは松阪城の警備を任務とする紀州藩士とその家族の住居として、1863年に建てられました。石畳の道路を挟んで、東棟が10戸、西棟が9戸あり、1戸分だけ一般公開されていますが、そこ以外は今なお子孫の方々が住み続けていらっしゃるのだそうです!

ここの説明をしてくださったお母さんも、今もここにお住まいだとか。パンフレットなどを拝見すると、紀州藩の直臣であることにこだわって一時は浪人の身分になったり、明治維新の際にはみんなでまとまって「苗秀社」という会社を設立し、現在まで続いているというのですから面白いですね。この一帯には縁の場所がいくつもあるようですので、歩いてみると面白いでしょう!


松阪城跡と御城番屋敷@三重県松阪市-22

松坂城跡の石組みなど。松阪城を築城した蒲生氏郷は、出身地の近江から石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」を呼び寄せて組み上げたものだとか。石垣はほぼ完璧に残っているため、思う存分に堪能できます!

松阪城跡と御城番屋敷@三重県松阪市-23
松阪城跡から南を見ると、すぐ前に細長い2棟の建物が平行に並んでいるのが分かります。これが『御城番屋敷』です

松阪城跡と御城番屋敷@三重県松阪市-24
西側の一番手前の1戸分だけ、一般公開されています。ここ以外は今でも子孫の方々がお住まいで、ちゃんとエアコンを入れたりして普通の生活していらっしゃるとか。こんな歴史ある重文建築物に暮らすというのは、どんな気分なんでしょうね。羨ましいけど大変そうです(笑)

松阪城跡と御城番屋敷@三重県松阪市-25

松阪城跡と御城番屋敷@三重県松阪市-26

松阪城跡と御城番屋敷@三重県松阪市-27

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松阪城跡と御城番屋敷@三重県松阪市-30

松阪城跡と御城番屋敷@三重県松阪市-31
公開されている1戸以外は、普通に生活なさっています。武家の流れをくんだ長屋。面白いですね



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■本居宣長記念館

HP: http://www.norinagakinenkan.com/
住所: 三重県松阪市殿町1536-7(「国史跡 松阪城跡」内です)
電話: 0598-21-0312
休館日: 月曜日、年末年始
開館時間: 9:30 - 16:30
拝観料: 大人-400円、大学生-300円、子供-200円
駐車場: 無料駐車場あり
アクセス: JR・近鉄「松坂駅」から徒歩15分ほど


■参考にさせていただきました

本居宣長 - Wikipedia
本居宣長旧宅 - Wikipedia
松坂城 - Wikipedia










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