2012-07-05

聖武天皇が建立させた『武蔵国分寺跡』@東京都国分寺市

聖武天皇が建立させた『武蔵国分寺跡』@東京都国分寺市

東京都国分寺市の『武蔵国分寺跡』へ行ってきました。もちろん、741年、聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」によって建てられたものです。今はただの原っぱにしか見えませんが、色んな想像が膨らむ楽しいスポットでした!


741年「国分寺建立の詔」によって建立

2012年5月に東京へ行った際、調布市の「深大寺」をお参りした後、知人(@butszo さん)の計らいで、行ってみたかった『武蔵国分寺跡』へ立ち寄ることができました。

実は私は、学生時代の4年間ほど国分寺市民でしたが、その当時はこんな渋い遺跡になど興味もなく、近くに住んでいたにもかかわらず一度も行ったことがなかったのです。念願かなって訪れた場所でしたが、予想通り何もない原っぱで、その点は奈良も東京も変わりませんね(笑)

この武蔵国分寺跡は、奈良時代の中期、聖武天皇が社会不安が続くことを懸念して、全国60余国に国分寺・国分尼寺の建立を命じた「国分寺建立の詔」によって建てられた寺院の跡地です。当時は武蔵の国の中心となるような大寺院で、全国の国分寺の中でも最大規模の金堂、さらに講堂や七重塔まであったそうです。隣接して国分尼寺もあったことが分かっていますから、その当時としてはかなりの規模だったことでしょう。



国指定史蹟 武蔵国分寺跡

天平13年(741)の聖武天皇の詔により、鎮護国家を祈願して創建された武蔵国分寺は、昭和31年以来の発掘調査によって東西720メートル、南北(中軸線上)550メートルの寺地と、寺地中央北寄りの僧寺寺域(360~420メートル四方)および寺地南西隅の尼寺寺域(推定160メートル四方)が明らかになり、諸国国分寺中有数の規模であることが判りました。

さらに、この中で寺地・寺域は数回の変遷があることが確認されています。

また、僧寺では諸国国分寺中最大規模の金堂をはじめ、講堂・七重塔・鐘楼・東僧坊・中門・塀・北方建物、尼寺では金堂(推定)・尼坊・中門(推定)などが調査されています。
武蔵国の文化興隆の中心施設であった国分寺の終末は不明ですが、元弘3年(1333)の分倍河原の合戦で焼失したと伝えられています。

史跡指定地域約10万平方メートルは、現在、史跡公園の整備に向けて土地の公有化を進めています。

現地の説明看板より


武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-02

『武蔵国分寺跡』に立つ説明書き。復元模型の図を見ても、相当な大規模寺院だったことが分かります


「分倍河原の合戦」で焼失してしまいました

しかし、武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333年)の「分倍河原の合戦」(北条泰家が率いた鎌倉幕府勢と新田義貞の反幕府勢とで行われた合戦)の際に焼失したと伝えられていました。その所在地は長らく不明となってしまいましたが、後の発掘調査で国分寺跡地であることが分かり、現在も調査・整備が続いています。

この日は全ての場所を見て回ったわけではありませんが、やはりこの手の跡地らしく、基本的には何もありません。広々した原っぱを残した公園化してあるだけです。しかし、東京の中ではまだ自然が残されている国分寺市ですが、ここの周辺は住宅が立ち並んでいます。そんな真ん中に、これだけの広場があるのはいいことですね。

私のような物好きな人間は、ここに立って奈良との繋がりを考えたり、間口七間(幅36メートル強)と推定される金堂や、高くそびえていたであろう七重塔の姿を想像したりできるだけでも、とてもありがたいことです。


武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-01

史跡武蔵国分寺跡の様子。基本的には何もないスペースで、市民の憩いの場になっています

武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-04
ガラーンとしています。ところどころに見える大きな石は、当時の建物を支えた礎石です。その跡をたどって、今はなき建物群を想像したりするのが楽しいですね

武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-05
武蔵国分寺の金堂跡。間口7間・奥行4間の大きな金堂が建っていました

武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-06

武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-07

武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-03
「復元の手がかりを求めて ~中門周辺の調査~」という説明書き。武蔵国分寺跡の発掘は現在も続けられており、歴史公園として活用するための整備が進められています


今の武蔵国分寺は新田義貞の寄進で再建

なお、武蔵国分寺跡に隣接して、現在も「武蔵国分寺」が建っています。

これは、鎌倉時代末期に旧武蔵国分寺が焼失してしまった後、新田義貞の寄進によって再建されたものだとか。時間の関係でお参りはできませんでしたが、後から調べてみたところ、奈良県の『長谷寺』を総本山とする、真言宗豊山派の寺院なのだそうです。こんなところにも偶然の繋がりを感じました。

また、この近くには「武蔵国分寺跡資料館」という施設もあるそうですので、興味のある方は立ち寄ってみるといいでしょう。


武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-08

武蔵国分寺の楼門(市指定重文)。間口三間・奥行二間の楼門造りで、江戸時代のもの。明治28年に東久留米市の米津寺から移築されたそうです

武蔵国分寺跡@東京都国分寺市-10
武蔵国分寺の本堂前。「国分寺市に国分寺がある」当然のことかもしれませんが、ちょっと嬉しい感じです(笑)



大きな地図で見る


■武蔵国分寺跡

HP: http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/bunka/6018/005361.html
所在地: 東京都国分寺市西元町・東元町

※実際に行ったのは「2012年5月13日」でした


■参考にさせていただきました!

武蔵国分寺跡 - Wikipedia
武蔵国分寺跡資料館|国分寺市










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