2012-02-20

『有間皇子神社』と『有間皇子の墓』@和歌山県海南市

『有間皇子神社』と『有間皇子の墓』@和歌山県海南市

和歌山県海南市にある、悲劇の皇子として知られる「有間皇子」を祀る『有間皇子神社』と、近くにある『有間皇子の墓』にお詣りしてきました。皇子が処刑された藤白坂にお墓がありますが、ちょっと神妙な気分になります。合わせて、全国の鈴木さんの氏神という『藤白神社』などもご紹介します。


19歳で処刑された悲劇の皇子です

「有間皇子(ありまのみこ)」(Wikipedia)とは、孝徳天皇の皇子で、中大兄皇子のライバルと看做される存在でした。

父の死後、政争に巻き込まれるのを避けるため、精神を病んだふりをして牟婁の湯(現在の白浜)に療養するなどしていました。しかし、蘇我赤兄にそそのかされ、斉明天皇と中大兄皇子の失政を指摘したことを密告され、和歌山県海南市にある「藤白神社」近くの藤白坂で処刑されてしまいます。

その際に有間皇子が詠んだとされる歌が、万葉集に収められています。

岩代の 浜松が枝(え)を 引き結び
ま幸(さき)くあらば また帰り見む
有間皇子 万葉集 巻第2-141
私は今、岩代の浜松の枝と枝とを引き結んで行く。もし万が一、この願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。
家なれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕
旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る
有間皇子 万葉集 巻第2-142
家にいる時にはいつも立派な器物に盛ってお供えをする飯なのに、今旅の身である私は椎の葉に盛って神祭りをする。

しかし、そのまま処刑され、まだ19歳という若い命を落としてしまいました。この悲劇的な運命を嘆いて、後の世の人々もこの地へ差し掛かると有間皇子を偲んで歌を詠み、万葉集に収められています。


有間皇子まつりも行われる『有間皇子神社』

有間皇子が亡くなった藤白坂の近くに『藤白神社』が鎮座しており、その境内社として『有間皇子神社』が祀られています。ここには小さなお社に万葉歌碑がある程度ですが、毎年11月には「有間皇子まつり」が催され、全国から悲劇の皇子を偲ぶ人たちが集まってくるそうです。


有間皇子神社と墓@和歌山-01

和歌山県海南市にある『藤白神社』。景行天皇の代の創建とされる古社で、全国の鈴木姓の氏神であるという面白いお社です。斎明天皇が牟婁の湯(現在の白浜)に行幸の際に社殿を建立し、そのゆかりで境内社『有馬皇子神社』を祀るようになりました

有間皇子神社と墓@和歌山-03
藤白神社の境内に建つ『有間皇子神社』。悲劇的な最期を迎えた有間皇子(ありまのみこ)を祀る、小さなお社です

有間皇子神社と墓@和歌山-04
有間皇子神社の小さな社殿

有間皇子神社と墓@和歌山-05
毎年11月には「有間皇子まつり」が開催されています。貼り出してあった資料がやや古いものでしたので、詳細は分かりづらいのですが、興味の有る方は藤白神社へ問い合わせてみるといいでしょう

有間皇子神社と墓@和歌山-06
有間皇子神社の由緒書きと、手前に見えるのは五線譜が描かれた「歌曲碑」です。今から千三百年以上も前、政敵であった中大兄皇子の策略にかかった有間皇子は、この藤白坂で絞殺されました。ここから200m先に有間皇子の墓があり、ここでその御魂をお祀りしています

有間皇子神社と墓@和歌山-07
藤白神社の境内にある万葉歌碑。「藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は ぬれたけるかも」(藤白の神の御坂を越えるというので、私の着物の袖は、雫にすっかり濡れてしまった。)。有間皇子が処刑されてから43年後、持統・文武天皇の紀の温泉行幸の際にお供の者が有間皇子への追慕の気持ちを詠んだとされる歌です。雑賀紀光の揮毫です


藤白坂にひっそり建つ『有間皇子のお墓』

有間皇子神社から近くを走る阪和自動車道の高架をくぐって進んだ道が、有間皇子が亡くなった「藤白坂」になります。そして、100mちょっと進むと有間皇子のお墓(有間皇子史跡)があります。こちらも万葉歌碑と墓石が並ぶだけですが、ちゃんとお花が手向けてあったりして、大事に祀られている様子が伝わってきました。

藤白坂を進んだ先はどうなっているのかは分かりませんでしたが、有間皇子ファンの方はぜひお墓に手を合わせておくといいでしょう。


有間皇子神社と墓@和歌山-08

藤白神社の境内のすぐ脇には、阪和自動車道の高架があります。この先が、皇子が命を落とした「藤白坂」になります。これをくぐって100mちょっと進むと、有間皇子の墓にたどり着きます

有間皇子神社と墓@和歌山-09
小さな公園のような敷地に、万葉歌碑と墓石が並んでいます。周りは民家が立ち並び、阪和道に車が行き来する気配が感じられますが、海にも山にも近い場所です

有間皇子神社と墓@和歌山-11
有間皇子史跡「有間皇子は、孝徳天皇の皇子です。斉明4年(658)11月に、謀反の疑いで捕らえられ、牟婁の湯(白浜の湯崎温泉)に行幸中の天皇のもとへ護送されました。中大兄皇子の尋問を受け、その帰り道に、この藤白坂で絞殺されました。皇子は19歳の若さであったと伝えられています。皇子が護送途中、自らの運命を悲しんで詠んだ歌が二首あり、そのうち一首が、ここの歌碑に佐々木信綱博士の筆で刻まれています。『家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る』」

有間皇子神社と墓@和歌山-10
歌碑と「有間皇子墓」とある墓碑。墓所にあるのはほぼこれだけですが、ちゃんと花が供えてあったり、しっかりと祀られている様子が伝わって来ました


鈴木さんに馴染み深い『藤白神社』『鈴木屋敷』

有間皇子神社のある「藤白神社(Wikipedia)」自体も、歴史があるだけではなく、個性的な面白い神社です。特に、隣接している「鈴木屋敷」は全ての鈴木さんの始まりの家で、藤白神社は全国の鈴木さんの氏神となっているそうですから、鈴木姓の方はぜひお参りしてみてください。

境内には立派なクスノキの巨木が立っていて、ご神木として大切に守られています。そこにそっと触って樹の霊気を感じることもできるようになっていましたので、パワースポット好きな方もどうぞ。


藤白神社@和歌山-01

藤白神社自体も、とても変わった神社です。風で裏返っていますが、参道ののぼりには「鈴木さんいらっしゃい」の文字が見えます

藤白神社@和歌山-02
社務所に貼ってあった和歌山の観光ポスター。藤白神社のお隣には、すべての鈴木さんの始まりの家と呼ばれる「鈴木屋敷」があり、藤白神社は全国の鈴木さんの氏神なのだとか!鈴木姓の方はお参りしておいてください!

藤白神社@和歌山-03
こちらは「藤白王子権現」の本堂。藤白五躰王子の神宮寺として栄えた中道寺の本地仏を祀っています。熊野本宮=阿弥陀如来、熊野速玉=薬師如来、熊野那智=千手観音、藤白若一王子=十一面観音なのだとか。熊野詣でが盛んだった平安末期の造像だそうです。さすがは和歌山ですね!

藤白神社@和歌山-04
境内社の「子守楠神社」。この巨木は「千年楠」と呼ばれ、熊野杼樟日命(くまのくすびのみこと)が籠もるご神木です。藤白神社の境内には、クスノキの大木が5本あり、天然記念物に指定されています。昭和には、この地域でクスノキにあやかった名前をつけることが多くあり、有名な「南方熊楠」もその一人なんだとか

鈴木屋敷@和歌山-02
すぐ近くにある「鈴木屋敷」の説明。「ここは鈴木姓の元祖とされる藤白の鈴木氏が住んでいた所です。平安末期ごろ、上皇や鳳凰の熊野参詣がさかんとなり、熊野の鈴木氏が、この地に移り住んで、熊野三山への案内役をつとめたり、この地を拠点として熊野信仰の普及につとめていました(後略)」

鈴木屋敷@和歌山-03
せっかくの鈴木屋敷も、今はだいぶ荒れ果てた様子で、特に美しいものではありませんでした。しかし、「熊野古道・鈴木屋敷周辺整備計画」が策定され、復元・整備が行われる計画もあるそうです



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■藤白神社

HP: 参考サイト(Wikipedia)
住所: 和歌山県海南市藤白466
電話: 073-482-1123
主祭神: 饒速日命
拝観料: 境内自由
駐車場: 無料駐車場あり
アクセス: JR「海南駅」から徒歩15分ほど

※実際に伺ったのは「2011年12月26日」でした。


■参考にさせていただきました!

有間皇子 - Wikipedia
有間皇子
藤白神社 - Wikipedia
蘇我赤兄 - Wikipedia










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