『なら・シルクロード博覧会 公式記録』を読みました
今から四半世紀ほど前、奈良公園と平城宮跡を舞台にして『なら・シルクロード博覧会』が開催されました。私はその当時のことを全く知らないので、参考になる資料を探していたところ、図書館で『なら・シルクロード博覧会 公式記録』という公式の報告書のようなものを見つけましたので、簡単に感想だけメモっておきます。私が想像していた以上の賑わいっぷりに驚きました!
入場者数は奈良県の人口の5倍の「682万人」!
『なら・シルクロード博覧会』とは、1988年4月23日~10月23日まで、奈良公園周辺と平城宮跡で開催された博覧会です。183日間で入場者は「682万人」。これは当時の奈良県の人口の5倍という、驚くべき大成功を収めたイベントとなりました。
ちなみに、2010年に開催された『平城遷都1300年祭』では、メイン会場・平城宮跡会場の来場者は「約363万人」だったようですから、その2倍近い方が押し寄せたことになります。
同協会の調べによると、平城遷都1300年祭の来場者は約1,740万人。そのうち、4月24日~11月7日に開催した平城宮跡会場の来場者は、当初予想の約250万人の1.5倍となる約363万人。「巡る奈良」をテーマに県内各所で行われたイベントの来場者は1,380万人。
実は、なら・シルクロード博が開催された1988年(昭和63年)は、私は奈良から遠く離れた北陸で暮らしていたばかりか、某学校の寮で生活していたため、その当時はテレビさえ見ていなかったのです。このため、正直なところ、こんな博覧会が開催されたことも、それが大成功を収めたことも知りませんでした(笑)
また、今になってからその内容について調べようと思っても、四半世紀近く前のことですから、インターネット上での情報はもちろん、紙の資料なども見つからず、ずっと気になっていました。しかし、つい先日、地元の香芝市の図書館で『なら・シルクロード博 公式記録』という資料を発見したため、さっそく借りて読んでみました。
これは博覧会が終わった後に、「財団法人なら・シルクロード博覧会」が出した報告書のような資料です。画像も多いですし、私が知らなかった当時の様子が伝わってきて、かなり面白かったですね。シルク博の雰囲気を体験している方にとっては、特に懐かしく感じられるかもしれませんね。
『なら・シルクロード博公式記録』の表紙。博覧会が終わってしばらくした平成元年に発行された公式記録です。今から四半世紀近く昔のものですし、無難過ぎるお固いデザインになっています
ちなみに、この本は「非売品」のため、一般に流通しているものではありません。図書館には持ち主の方から寄贈されたようです
奈良公園が白い建物で埋め尽くされました
この冊子から、目についた部分だけ簡単にご紹介していきます。全部で217ページもありますので、ほんの一部だけになりますが、少しだけでも当時の雰囲気が伝わるといいですね。
最初の見開きには、当時のパビリオン前の賑わいを様子が写されています。話には聞いていましたが、奈良公園に白いテント型の建物が立ち並ぶ姿は、今ではとても想像できませんね。観客の方のファッションを見ても、上下デニムの方が居たりと懐かしさを感じさせてくれます(笑)
なら・シルクロード博の会場の空撮。向かって左手が、感動と発見のゾーン「登大路会場」。右手が、ふれあいと交流のゾーン「春日野会場」。興福寺や東大寺に近いスペースが、白い建物で埋まっています。ちょっと想像がつかないですね
同じく空撮写真。向かって左手が、遊びと体験のゾーン「飛火野会場」。右手が、出会いと出発のゾーン「平城宮跡会場」。あののどかな飛火野が…というのも驚きですが、平城宮跡のガランとした様子も驚きです。最初は平城宮跡がメイン会場になる計画もあったようですが、結局は一部のみ使用となったようです。まだ朱雀門も復元されていません
登大路会場の「テーマ館」の様子。博覧会自らの運営で、テーマは「シルクロードにおいて演じられた壮大な東と西の文化交流」。ドームや敦煌の石窟の再現、大映像「飛天翔」、ニケ像などで構成されていて、博覧会全体の約45%にあたる307万人が入場したのだとか!
同じく登大路会場の「シルクロードなら館」。奈良県・奈良市による出展です。テーマは「なら・浪漫の道」。シルクロードの東の終着点としての奈良の魅力を紹介する内容でした。建物の天井が「木造格子シェル構造」というものを採用していて、写真で見ても美しいですね。また、コンパニオンの方の制服が、全く奈良っぽくないのも驚きです(笑)
春日野会場のステージを設けた催事場「ビッグ・パオ」。機関中は、アジアや中東の各国、奈良の市町村からの催しなどとともに、テレビの公開収録コンサートが行われました。登場した芸能人の方の一部を挙げておくと、宗次郎・岩崎宏美・小比類巻かほる・MALTA・堀内孝雄・竜童組・芳本美代子・小林幸子など(敬称略)。時代を感じますね
なら・シルクロード博の公式ポスターたち。時代がかったイラストとデザインですね(笑)
なら・シルクロード博の関連グッズたち。マスコットキャラクターは、シカの「ナナちゃん」と、ラクダの「ララちゃん」。奈良の「な」と「ら」を重ねただけという、思い切ったネーミングです。また、グッズの色合いが全体的にファンシーですね(笑)
この冊子は、全217ページあります。後半は博覧会の企画意図から各パビリオンの紹介、結果まで、細かいデータが掲載されていますので、全体を捉えるのに最適ですね。なかなか目にする機会はないと思いますが、図書館で探してみてください
昭和の最後に行われた華やかな博覧会
私の勝手な感想としては、同じ関西で行われた懐かしい博覧会にも関わらず、「大阪万博」のようなワクワクしたものが全く感じられないことが驚きでした。
もちろん、大阪万博は私の記憶にない遠い過去ですし、岡本太郎氏という偉大なプロデューサーがいたのですから、今見ても衝撃的なビジュアルのものが多数あります。一方のシルク博は、私が知っている時代(18歳ごろです)の風俗そのままですし、奈良公園という土地や景観にも配慮しているため、少なくとも後世に残るようなインパクトは無かったのでしょう。時代も目的も違うのですから、当然といえば当然のことですね。
しかし、少し数字を調べていくと、ものすごい規模だったことがよく分かりました。平城遷都1300年祭の時にも、幾人もの方から「シルク博はすごかった」という話を聞いていたのですが、確かに奈良公園にめがけて、1300年祭の倍近い方が押し寄せたら、それは大変なパニックだったでしょうね。
また、簡易型とはいえ、奈良公園にあれだけの建物が立ち並ぶ姿は、もう二度と見られないかもしれません。博覧会の期間中は、奈良公園のシカたちはちゃんと過ごせていたんでしょうか?ひょっとしたら、来場者が鹿せんべいを与えすぎて、いつも満腹で、お昼前には鹿せんべいには見向きもしなくなっていたのかもしれませんね(笑)
などなど、とりとめもなく色んなことを想像する楽しいネタになってくれる一冊でした。奈良県内の図書館を探せば置いてあるかもしれませんので、興味のある方は探してみてください。余談ですが、オンライン書店のAmazonで探すと、当時のガイドブックが中古で格安で見つかったりしますので(私はもう注文しました!)、物好きな方はどうぞ!
■なら・シルクロード博覧会
HP: 参考サイト(Wikipedia)