2019-06-09

村上春樹さんの文章中に「奈良」が描かれた2つの作品

村上春樹さんの文章中に「奈良」が描かれた2つの作品

世界中で高い評価を受ける小説家・村上春樹さん。私もデビュー間もないころからのファンです。あらためて昔の作品を読み返してみると、文中で奈良について触れられていることに気づきました。デビュー作『風の歌を聴け』では巨大な古墳(天皇陵)について、エッセイ『村上朝日堂の逆襲』では、参加した明日香村のマラソン大会について語られています。


『風の歌を聴け』に登場する奈良の古墳

村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』

いまや世界でもっとも有名な日本人作家といっても過言ではない「村上春樹」さん(Wikipedia)。私もデビュー間もない頃からずっとファンで、これまでにも何度もその作品を読み返してきました。

以前、村上さんのデビュー作『風の歌を聴け』を読み返していたところ、作中に「奈良の古墳」についての記述があったことに気づいて驚いたことがありました。これまでにも何度も読んできましたが、まだ奈良にご縁ができる前だったため、あまり記憶に残らなかったようです。

この小説は、主人公(僕)とその友人(鼠)の一夏を淡々と描いた作品です。奈良の古墳に関するくだりは、鼠が過去の思い出話として登場しています。



「これから何をする?」
 鼠はタオルで足を拭きながらしばらく考えた。
「小説を書こうと思うんだ。どう思う。」
「もちろん書けばいいさ。」
 鼠は肯いた。
「どんな小説?」
「良い小説さ。自分にとってね。俺はね、自分に才能があるなんて思っちゃいないよ。しかし少なくとも、書くたびに自分自身が啓発されていくようなものじゃなくちゃ意味がないと思うんだ。そうだろ?」
「そうだね。」
「自分自身のために書くか……それとも蝉のために書くかさ。」
「蝉?」
「ああ。」
 鼠は裸の胸に吊したケネディー・コインのペンダントをしばらくいじくりまわしていた。
「何年か前にね、女の子と二人で奈良に行ったことがあるんだ。ひどく暑い夏の午後でね、俺たちは3時間ばかりかけて山道を歩いた。その間に俺たちの出会った相手といえば鋭い鳴き声を残して飛び立っていく野鳥とか畦道に転がって羽をバタバタさせているアブラ蝉とか、そんなところさ。なにしろ暑かったからね。
 しばらく歩いた後で俺たちは夏草がきれいに生え揃ったなだらかな斜面に腰を下ろして、気持ちの良い風に吹かれて体の汗を拭いた。斜面の下には深い濠が広がって、その向う側には鬱蒼と木の繁った小高い島のような古墳があったんだ。昔の天皇のさ。見たことあるかい?」
 僕は肯いた。
 「その時に考えたのさ。何故こんなでかいものを作ったんだろうってね。……もちろんどんな墓にだって意味はある。どんな人間だっていつかは死ぬ、そういうことさ。教えてくれる。でもね、そいつはあまりにも大きすぎた。巨大さってのは時々ね、物事の本質を全く別のものに変えちまう。実際の話、そいつはまるで墓には見えなかった。山さ。濠の水面は蛙と水草でいっぱいだし、柵のまわりは蜘蛛の巣だらけだ。
 俺は黙って古墳を眺め、水面を渡る風に耳を澄ませた。その時に俺が感じた気持ちはね、とても言葉じゃ言えない。いや、気持ちなんてものじゃないね。まるですっぽりと包みこまれちまうような感覚さ。つまりね、蝉や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって宇宙を流れていくんだ。」
 鼠はそう言うと、もう泡の抜けてしまったコーラの最後の一口を飲んだ。
 「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね。」
 語り終えてしまうと鼠は首の後に両手を組んで、黙って空を眺めた。
「それで、……何か書いてみたのかい?」
「いや、一行も書いちゃいないよ。何も書けやしない。」
「そう?」
「汝らは地の塩なり。」
「?」
「塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。」
鼠はそう言った。


■『風の歌を聴け』村上春樹 新潮文庫版 P113~116より


村上さんご自身は、生まれは京都府伏見区、育ちは兵庫県西宮市・芦屋市となるそうですので、おそらく実体験から書かれたことなのでしょう。

ちなみに、小説『風の歌を聴け』が発表されたのは1979年で、今から40年も前です。とすると、この描写は半世紀以上も前の古墳の姿だと思われます。

これがどの古墳のことを指すのかはわかりませんが、山道を歩いてたどり着く巨大な天皇陵、そして水量が豊富な濠があるとなると、やはり古道「山の辺の道」に面した、柳本古墳群の「崇神天皇陵(行燈山古墳)」や「景行天皇陵(渋谷向山古墳)」あたりを連想します。

もしくは、奈良市北西部に位置する、佐紀盾列古墳群の「垂仁天皇陵(宝来山古墳)」なども候補に上がるかもしれません。当時はまだ開発も進んでおらず、現在よりもはるかにのどかな風景だったはずです。

それにしても、巨大な天皇陵を眺めて「まるですっぽりと包みこまれちまうような感覚さ。つまりね、蝉や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって宇宙を流れていくんだ。」という心持ちになるなんて、とても詩的です。いつか夏の天皇陵で蝉の鳴き声を聞いて、鼠の語ったことを思い出したいと思います。


明日香村で開催されたマラソン大会も

村上春樹さんのエッセイ集『村上朝日堂の逆襲』

Facebookページのコメントで教えていただいたのですが、村上春樹さんの文章の中でもう一箇所、奈良について語られています(探せばまだ他にもあるのかも)。



●「長距離ランナーの麦酒(ビール)」

 春が近づいてくるとなんとはなしに長距離レースが走りたくなってくるもので、先日「明日香ひなまつり古代マラソン」というのに出場してきた。スタート地点が明日香村の石舞台の前で、鬼の俎や飛鳥寺や高松塚なんかを眺めつつ四十二キロを走破するというなかなか楽しそうなコースである。天気も良いし、暖かだし、石舞台のわきにごろんと寝転び、フィリップ・ロスの『解剖学講義』なんぞを読みながらスタートの合図を待っているとのんびり心がなごんでくる。もう春である。

(中略)

 ところでこの「明日香マラソン」は実際に走ってみると名前に似合わないかなりハードなコースである。飛鳥を歩いた経験のある方ならおわかりかと思うけれど、このあたりはやたらとアップダウンの多い地形で、ひとつ丘を越すとすぐに次の丘がやってきて、いちばん高いところといちばん低いところではその高低差が約百メートルある。だからいつも平地を走っているときの感覚でとばしていると、後半には足がガクガクになってしまう。僕はもともと坂道はそれほど苦手な方ではないのだけれど、ここのところ神宮外苑や湘南サイクリング道路といったフラットなコースばかり走っていたのでアップダウンについていけず、三十五キロを越したあたりからはもう坂を見ただけで頭がクラクラして、ついには上りだけは歩いてしまうことになった。誠に残念である。これからまたみっちりとクロス・カントリーで鍛えて、できることならもう一度このコースに挑戦してみたいと思う。


■『村上朝日堂の逆襲』村上春樹/安西水丸 新潮文庫版 P248~251より


「明日香ひなまつり古代マラソン」第1回大会は1984年とのこと。キトラ古墳の極彩色壁画(の玄武)の存在が明らかになったのがその前年の1983年ですから、古代史ファンを中心にざわざわしていた頃に始まった大会です。

毎年のようにフルマラソンに参加しているシリアスランナーとして知られる村上さんですが、このレースはまだ3回目のフルだったとか。「前回が一九八三年のホノルルだから、約二年半ぶりの四十二キロということになる。」(※ホノルルマラソンは12月開催)という記述から、このレースは1986年だったようです。

この頃の村上さんは、前年3月に傑作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が完成し、谷崎潤一郎賞を受賞。このレースの後には、ギリシャのミコノス島で『ノルウェイの森』の執筆を始め、翌年の春に完成したという、ファンとしては感慨深いタイミングです。

なお、この大会自体はすでに開催されていませんので、詳しいコースなどは不明です。しかし、こちらのページに掲載してあるハーフマラソンのコース図を見る限り、スタート・ゴールは石舞台古墳。明日香村の歴史スポットなどを巡るコース設定で、アップダウンの連続であることは間違いありません。ひょっとしたら、フルマラソンはここを2周した可能性もあり、なかなかの難コースだったでしょう。

村上春樹ファンのランナーの端くれとして、いつかこのコースを走ってみたいと思います!


■参考にさせていただきました

村上春樹 - Wikipedia
村上春樹新聞 | 100%村上春樹についての新聞
第16回 明日香ひなまつりマラソン奮戦記


※この文章の前半部分は、Facebookページに掲載したテキストに加筆したものです。










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