白洲正子「かくれ里」の風情を残す『大蔵寺』@宇陀市
宇陀市の山中にある『大蔵寺』へお参りしてきました。ここは、白洲正子さんの紀行文『かくれ里』に登場したお寺です。それから40年たった今なお、その時の侘びた雰囲気が残っていました(※参拝には様々な注意事項がありますのでお気をつけください)。
弘法大師が高野山の前に開いた「元高野」
奈良県宇陀市にある『大蔵寺』(山号:雲管山)は、聖徳太子の創建とも伝わる古刹です。平安時代初期には、高野山を開く前、道場とする地を探していた弘法大師・空海が入山し、真言宗最初の道場とここに定めました。
空海が高野山を開く際には、独鈷(金剛杵)を投げて落ちた場所を選んだという言い伝えが残されていますが、その最初に落ちた場所こそが、大蔵寺の場所であるとされており、このため「元高野」とも呼ばれ、信仰を集めてきました。
歴史的にはよく分からない部分も多い大蔵寺ですが、このお寺の名前を有名にしたのは、白洲正子さん(白洲次郎氏の奥さまです)のエッセイ『かくれ里』でしょう。
これは、白洲正子さんが、1969年から2年間にわたって「芸術新潮」に連載し、1971年に単行本として刊行されたものです。今から40年も前の紀行文となります。文字通り、世を避けたように存在するか隠れ里を歩き、その土地の歴史・伝統・美術・風習などを伝えていて、油日や湖北、奈良では宇陀、吉野、葛城、田原、円照寺などを巡っています。その中で、大蔵寺は連載3回目の「宇陀の大蔵寺」の回で取り上げられています。
2010年秋から、白州正子さんの生誕100年特別展「白洲正子 神と仏、自然への祈り 」が全国を巡回していて、ちょっとしたブームが起こっていました。この展示会へ、大蔵寺からは、「天部形毘沙門天(重文)」「地蔵菩薩立像(県重文)」「大般若経(県重文)」「大黒天像」などが出展されていました。
また、後からご住職の田邉さんにお話を伺ったところ、NHK主催で「白洲正子と大藏寺」という講演会もなさったのだとか!
白洲正子さんのお孫さんが、この特別展開催にあたって『かくれ里』に登場する場所を歩いてみたところ、「今でもかくれ里の雰囲気を残しているのは大蔵寺だけだ」という結論に達して、どうやってこの環境を守っているのかなど、お話なさったのだそうです。今でこそ、電話も電気も通っていますが、40年前とそれほど変わらないかくれ里であることは疑う余地もない「現代に残るかくれ里」ですね。
「ご祈願料 3,000円」と定められています
そんな大蔵寺ですが、ホームページの「御参拝の方へ」というページには、「近年では観光、行楽の方のマナーの悪さに、本来の大蔵寺信者参拝者が大変迷惑しております。」という趣旨の、来る人を拒んでいるかのような、きつめの警告文が並んでいます。
●ご本尊御拝顔や他祈願は宗教上の法事でありますので「仏像を見たいというだけの理由」での拝観は致しておりません。
●大藏寺は深い山中に在しており、境内には参拝用駐車場が有りません。参拝は公共交通機関を利用して参道は徒歩で登山下さい。
●写真家・写真目的での入山、登山、登山目的での入山をお断りいたします。
などなど、これを見た瞬間にお参りを諦めたくなるところですが、条件によっては参拝できるという情報を聞いたため、勇気を出して拝観予約のお電話を差し上げてみました。すると、とても柔和な声のご住職が電話に出られて、「本堂の拝観という形ではお受けしておりませんが、『ご祈願(一人3,000円)』として御参拝いただけます。」とのこと。金額が金額ですから、やや怯んだことは事実ですが、翌日、改めて電話を差し上げて、ご祈願の申込をしました。
ちなみに、この日のお参りのパートナーは、奈良を中心に地方の仏さまを拝してまわっている「GSD (Gan3daishi) 」さんです。私など比較にならないほど地方仏には詳しい方ですが、大蔵寺にお参りするのは初めてのことだとか。そのくらい貴重な体験なんですね。
参拝マナーにはくれぐれもご注意ください
大蔵寺は、宇陀から吉野方面へ続く国道370号線から、さらに1kmほど山中へ入った場所にあります。道路を挟んでゴルフ場「阿騎野CC」と向かい合うような形になります。
車以外の方法であれば、榛原駅から、バスで道の駅「宇陀路 大宇陀」へ、さらにコミュニティーバスに乗り継いで「大蔵寺前」へというルートになりますが、バスの本数が極端に少ないため、タクシーを利用した方が現実的でしょう。
私たちは、駐車場が確保できるか不明だったため、道の駅に車を停めて、そこから歩いてみました。少しはかくれ里の雰囲気が味わえるかと思いきや、7月の暑い日に、車通りが多くないとはいえ、国道を歩き続けるのは楽なものではありません。大蔵寺への山道にたどり着くまでに約40分かかりました(笑)
ここから山を登って行く途中に、少ないながらも駐車できるスペースがありましたので(「仮設駐車場」扱いとのこと)、車の方はここまで登ってくるといいでしょう。ただし、その前後ともにすれ違いできない細い道が続きます。普通車サイズだと方向転換も難しいような場所ですから、くれぐれもお気をつけください。
国道370号線沿いに見える、大蔵寺への山道の入り口。「元高野大蔵寺」「重要文化財」などの文字が見えます。ここから山道を1kmほど歩きます
コミュニティーバス「大蔵寺前」(外回り)の時刻表。一日3本しかありませんので、バスを利用する場合はくれぐれもご注意ください
こんな細い山道が1kmほど続きます。傾斜が特にきついわけではありませんが、しっかりとした靴を履いてきましょう。また、車はすれ違う場所もほとんどありませんので、運転にはくれぐれもご注意ください
路肩部分にかろうじて駐車スペースが。「仮設駐車場」扱いとのことですが、ここまでは車で入ってこれそうです
参道の掲示板。「関係車両以外の車両乗り入れ禁止。参道入り口に駐車場無しと表記しています。」「大蔵寺は、檀家信者がいる一般寺院で観光寺院ではありません。参拝のマナーを守って下さいますよう御願い致します。」「目に余るマナーの悪さの為、写真家の入山と、写真撮影用の三脚、三脚に類似する設置器具の使用をお断りしています」など、厳しい言葉が並んでいました
山道の先にようやく現れた建物。右手が庫裡、本堂はこの左手上にあります。人の気配はあるものの、ものすごい辺鄙なところなのは間違いありません。まさに『かくれ里』そのままですね
山間の空気に馴染んだ「本堂」「大師堂」
庫裡から一段高いところには、「本堂」と「大師堂(ともに重文)」などが建っています。いずれも鎌倉時代のもので、簡素でありながら屋根の反りが大変美しく、山寺の凛々しさが感じられました。
大蔵寺の建物や仏像に関しては、白洲正子さんが『かくれ里』の中で触れていますので、ところどころ引用しておきたいと思います。
見えないのも道理、お寺は今いったつつじの岡の上にあり、登って行くにつれ、景色が展けて、薬師堂、御影堂、十三重の石塔などが、すくすくのびた高野槙の間から現れて来る。いずれもこの辺には珍しい鎌倉時代の建築で、やわらかい檜皮葺きの屋根が、互いに重なり合いつつ、周囲の山の稜線にとけこんでいるのが美しい。西は大和と宇陀をへだてる峰つづきだが、東は展けて、さほど高くない山や丘がうねうねと並び、南には遠く吉野の連山が見渡せる。昔の寺院は、自然を実にたくみに取り入れているというか、まわりの景色の中にすっぽりはまりこんで、人工的な建造物であることを忘れさせる。寺院だけとは限らない。神社も住居も、あたかも自然の一部のごとき感を与える。これは彼らがあらゆる物事に対して、敏感だったために他ならない。現代の生活は、人を神経質にさせるが、決して敏感にはしてくれない。過敏とは一種の精神の麻痺状態であると思う。
庫裡から一段高いところに、本堂へと続く石段があります。見えている建物は、山門かと思ったら鐘楼でした
大蔵寺の鐘楼。石段を上がってすぐという、ちょっと変わった位置にあります。吊るしてある鐘は青味がかっていて、かなり古い物まがらも純度が低かったため、戦争当時の金属供出を免れたのだそうです
大蔵寺の「本堂」と「大師堂」。ともに鎌倉時代の建築で、重要文化財に指定されています。後は、本堂の裏手に十三重石塔があります。セミの泣き声だけが響き、足元には下界ではなかなか見られないような、大きなカエルがたくさんいました
本堂は簡素な造りながらも、檜皮葺きの軒の反り返りが見事で、凛とした山寺らしい雰囲気が感じられます。ここに、御本尊の空海作「薬師如来立像(重文)」「天部形毘沙門天(重文)」「地蔵菩薩立像(県重文)」などが祀られています
本堂前。以前はここを開け放していたのですが、マナーの悪い方がいらっしゃったため、現在は閉め切っているそうです
本堂に向かって左奥に建つ「大師堂(重文)」。鎌倉時代の宝形造の建物です。この日は中を拝見することはできませんでしたが、堂内には弘法大師・空海の37歳の時の姿を写したとされる像が祀られているそうです
空海作!素朴で親しみやすい薬師如来さま
大蔵寺の御本尊は「木造薬師如来立像(重文)」です。像高265cm、平安後期の作で、明治時代には国宝に指定されていたものです(いわゆる旧国宝)。螺髪もなく、衣紋もおおらかに刻まれ、唇に紅が引いてあるだけで彩色もありません。光背は墨書きした模様が見られるものの、全体的に素朴さが伝わってくるお姿でした。
なお、このお薬師さまは、近年の調査の結果、時期といい作風といい、本物の空海作と認められているのだとか!空海作と伝わる仏像は数多く存在しますが、調査の結果、それが裏付けられているのはすごいことですね。
正直なところ、私は大蔵寺の環境や建築には感心しても、中身の仏像にはあまり期待が持てなかった。藤原時代の仏像にもピンからキリまである。こんな山奥に、ろくな彫刻があるわけがないと内心そう思っていたのだが。本堂の扉が開かれた時、それはみごとに裏切られた。実に美しい仏なのである。といっても、特別すぐれた彫刻というのではなく、あきらかに地方的な作なのだが、そこにいうにいわれぬうぶさがあって、時代とか技術を超越したものが感じられる。殊にお顔がいい。推古仏に似た表情で、ハ尺八寸の長身から、無心に見おろしていられるのが、藤原初期よりずっと古様に見える。
こういうことは、敦煌の彫刻などにもよく見られるもので、田舎作であるため、かえって古式を伝えているのだ。専門家はみとめないかも知れないが、完全無欠な仏像より、私には、こういう仏様の方が親しめる。
おおらかで素朴で、2メートルを超える大きなお姿ですが、決して威圧感は感じません。そこに静かにいらっしゃるといった、とても優しい風情が素敵でした。
また、御本尊の向かって左手には、白洲正子展から帰ってきたばかりの「天部形毘沙門天(重文)」がいらっしゃいました。
片手には棒状のもの、片手には宝珠。衣装はシンプルで、頭部には頭巾のような兜を被っています。その姿は、よく見知っている毘沙門天像ではなく、明らかに神像(仏さまではなく神さまを彫った像)に近い、ある種の「頑なさ」が感じられます。
堂内には、同じく藤原時代の毘沙門天の像が祀ってある。兜跋毘沙門天ともいわれるが、土地の人々は「神象さん」と呼んでいるそうで、私はその方が正しいのではないかと思う。右手に塔を捧げているが、両腕とも後補らしく、顔の表情といい、身体のかたさといい、仏像より神像の方に近い。周知のとおり、神像は、どんな傑作でも、きまって硬直したような姿勢に造られており、私はいつも不思議なことに思っていたが、あの彫刻が盛んな時代に、技術が下手だったためとは思えない。また、手をぬくことも考えられない。
とすれば、はじめから樹木に似せて作ったのではあるまいか。坐像は木の根っこみたいだし、立像は、生の立木のように見える。両手も深く袖の中にかくし、顔の表情にも身体にも、あらゆる「動き」というものが拒絶されている。
この神象さんや、薬師如来が、ややそれに近い印象を与えるのも、都を遠く離れた山里には、古代の自然信仰が、根づよく生きつづけていたからだろう。作者はまったくわからないが、同じひとか、同じ流派の人で、神社と関係が深かったに違いない。
この他、本堂にはこんな仏さまもいらっしゃいました。
●大黒天像。鎌倉時代の作で、もともとは食堂に祀られていたもの。白洲正子展に行った際に、像がパカッと前後に割れることが分かり、中からは大量のお札が出てきたそうです。素朴で福々しい、見慣れたタイプの方でした。
●地蔵菩薩立像(県重文)。錫杖は持っていないタイプ。弘法大師作と伝わっていましたが、調べてみたら鎌倉時代の作で、時代が全く違ったとか。御本尊と作風が似ているため、後の時代になってそれに合わせて作った可能性があるとのこと。
宋の名工・伊行末の作の十三重石塔も
この他、宋の名工、般若寺の十三重石塔などを作ったことで知られる「伊行末(いのすえゆき)」作の「十三重石層塔(県重文)」、『かくれ里』の中に登場した(かもしれない)高野槙の大木、岡倉天心が寄進した「辨事堂」などがあります。
多数の僧堂を構えた時期もあった大蔵寺も今はこれだけと考えると、やや寂しい感じもしますが、その分だけ、素晴らしい環境が残されているとも言えるでしょう。
本堂裏手にある「十三重石層塔(県重文)」。地震により崩れ、今は十重になっています。この石塔の作者は「伊行末(いのすえゆき)」という方で、鎌倉時代に焼け落ちた東大寺・大仏殿の再建のために宋から招かれた石工です。東大寺南大門の石獅子、大野寺の磨崖仏、般若寺の十三重石塔なども、同じ方の作品なのだとか!
崩れた石塔の一部は、石段の登り口に逆さまに置いてありました。味がありますね
石段の途中にいらっしゃった「浪切不動明王」。享保13年(1728年)の銘があるそうです。この前にも、石塔の一部が置いてありました
本堂の脇には、大きな高野槙(こうやまき)の木が。白洲正子さんが『かくれ里』で書いていたものかもしれません
向かって左手が庫裡、右手が「辨事堂(べんじどう)」です。庫裡は、いかにも山中の民家風。電気・電話は来ているものの、街灯などがあるはずもなく、野生の獣がたくさん居るそうです。ここでずっと生活しているご住職はすごいですね!
庫裡の脇にある「辨事堂(弁事堂とも)」。弁事明王こと、鎌倉時代の地蔵菩薩坐像を安置する、子授けの霊験あらたかなお堂。先のご住職・丸山貫長と親交のあった、岡倉天心(近代日本の美術研究の第一人者)が寄進したものです。堂内も拝見させていただきました。屋根に苔が乗った様子がいいですね
とてもいいお詣りができました!
ホームページには、かなり厳しい文言が見られたため、どうなることかと思っていましたが、ご住職(身体が大きくて、山の庵暮しが似合う方でした!)もとても親切にしてくださいましたし、本当にいいお参りをさせていただけました。
あの文章についてもお伺いしましたが、以前は車がどんどん上がってきて事故を起こしたり、アマチュアカメラマンが勝手にお堂に上がりこんでしまったりと、トラブルも多かったため、ホームページには厳しく書いてあるのだそうです。決して一般のお参りを拒んでいるわけではありませんので、マナーを守ってお参りしてください。
なお、大蔵寺では、毎年4月21日に「大蔵寺花会式」が行われます(11時30分~。堂外から拝顔。堂内には立ち入りできません)。この日は、21日は弘法大師さまの月命日(命日は3月21日)ですが、あえて4月に行うのは、この季節にはツツジが満開になり、全山がピンク色に染まるため。お堂を開け放って、仏さまにその美しい姿をご覧いただくための行事なのだそうです。
この日は一般の方もお参りできますので(駐車場は場所が足りないかも…)、ぜひ参拝してみてください。
参拝した記念として、散華(さんげ)をいただきました。向かって左側のものが独特で、空海が修行の地を選ぶために独鈷を投げたら、真っ先に大蔵寺の場所に落ちたという寺伝を描いています。なお、大蔵寺では御朱印はお渡しいていないとのことでした
■大蔵寺
HP: http://ookuraji.jp/
住所: 奈良県宇陀市大宇陀区栗野906
電話: 0745-83-2386
宗派: 龍門真言宗
本尊: 薬師如来(重要文化財)
創建: 7世紀ごろ(伝)
開基: 聖徳太子(伝)
拝観料: 拝観のみは不可(ご祈願料 3,000円。要事前予約)
拝観時間: 不明
駐車場: 山中に仮駐車場あり
アクセス: 道の駅「宇陀路 大宇陀」から、コミュニティーバスで「大蔵寺前」下車。徒歩15分
※『かくれ里』には「初瀬寺の末寺」とありますが、現在は独立して「龍門真言宗」の寺院となっています。この教えの特徴は、「問題解決には暴力もその手段となりうる。」というものだそうです(詳しくはこのページをご覧ください)。
■参考にさせていただきました!
宇陀の大蔵寺 - tetsudaブログ 「日々ほぼ好日」
大蔵寺 (宇陀市) - Wikipedia
奈良の寺社: 大蔵寺
ルフナ mama : かくれ里・大蔵寺へ
空飛ぶ船:白洲正子 神と仏、自然への祈り