2017-10-20

【雑文】奈良は「京都」よりも「沖縄」に似ている?

【雑文】奈良は「京都」よりも「沖縄」に似ている?

2016年に発売された『d design travel 奈良』というガイドブックがある(紹介記事)。

「ロングライフデザイン」をテーマに、47都道府県それぞれのその土地らしい定番を紹介していくというもの。その土地に2ヶ月間も居付いてさまざまな場所を巡るという、とても丁寧な制作手法をとっているのが特徴だ。

紹介されるスポットやお店も、古都・奈良でずっと愛されてきた、そしてこれからも愛されていくであろうものが取り上げられていて、奈良に暮らす者としてもとても楽しい内容だ。



その中で語られた、編集長のこんな言葉がとても印象的だった。

奈良市の旅では、いわゆる「和」とか「日本らしい」という事を、僕はあんまり感じなかった。むしろ、外国を訪れたような気持ちに近かったと思う。奈良と同様か、それ以上に「古都」と呼ばれるのは京都だが、奈良と京都とは、あまり似ていないように思う。どちらかというと、琉球王朝文化が色濃く残る沖縄に近いものを、僕は奈良に感じた。奈良の人々は、鹿などの動物と共生し、木々や森を守っている。そこらじゅうに仏像や寺社があり、それらは厳かで権威的というよりも、華やかで優しい。その土地の人よりも海外の人の方が多く感じられる観光地だが、名物料理は目立たず、地の野菜が豊富で新鮮。食べ物で人を誘わない。というより、何かで人の気を引くというつもりがない。そんな奈良が、旅が長引けば長引くほど、僕はどんどん好きになっていった。

(P125「編集長が行く 空閑トラベルII」より)


私自身、奈良に生まれた人間ではないものの、やはり「京都・奈良」と常に対になるように紹介されてきた。それだけに「奈良と京都とは、あまり似ていないように思う。」という指摘があるまで、その可能性にすらまったく気づかなかった。

奈良には、京都のような「和」や「日本らしい」ではなく、沖縄に近い、まるで海外のどこかのような雰囲気があると。言われてみれば、確かに“腑に落ちる”のだ。




よく比較される京都の場合、平安京の遷都から現代に至るまで、ずっと歴史の連続性が見て取れる。天皇陛下がおわした都であり、首都機能が東京へ遷った後も、その佇まいは維持され、世界有数の観光都市として栄えている。明治維新後に廃れかかった時期もあったと聞くものの、日本の歴史の中心だったことは明らかで、まったく断続していない。

しかし、奈良や沖縄となるとまた印象が違ってくる。奈良が歴史の中心として語られるのは、古墳時代から奈良時代までであることが多く、それ以降はあまり大きく扱われることはない(南都焼討くらいか)。

もちろん、年表で多く語られないだけのことで、平安京へ都が遷った後も、大和の国は興福寺が支配し、平安貴族からは自分たちのルーツの土地として崇敬を集めていた。江戸時代には大仏殿の再建事業をきっかけとして、一大観光都市として生まれ変わるなど、形を変えながらもその歴史は連綿と続いている。

しかし、そういった認識は残念ながら一般的とはいえない。飛鳥京や藤原京、平城京などかつての都が、わずかな痕跡を残すのみで、広々とした原っぱに戻っている姿を見れば、文明が断絶した姿に見えても不思議はない。




また、奈良の古社で祀られている天平時代や奈良時代の古仏たちも、現代とはまった異なる古代文明の存在を想起させる一因かもしれない。

天平時代の仏教彫刻は“人ならざるもの”という雰囲気が感じられるものが多い。仏の姿を摸しているのであるのだから人ではないことは当然なのだが、法隆寺に安置される救世観音像や百済観音像など、幾度拝見しても畏怖の念が沸き起こってくる。人間からはるか遠い存在であることは明らかで、仏と庶民との距離が(いろんな意味で)遠かった時代のことを思い起こさせてくれるようだ、

憂いを帯びた表情が魅力的な興福寺・乾漆八部衆立像の一躯「阿修羅像」などは、例外的なものなのかもしれない。三面六臂という特殊な姿でありながらも、少年のようなあどけなさすら感じられ、不思議なほど親しみやすい。破綻なく造像されたその姿は、時代を超越した洗練すら感じられる。

いずれにしても、大陸の文化の影響は色濃く感じられ、ある意味では「日本らしくない」という言い方もできるだろう。




奈良の祈りは、より土俗的であり、精神的だ。古代から続く霊力が強く感じられる。

春日若宮おん祭で真っ暗な深夜、若宮さまが移動する際に神職の方たちが発する「ヲー、ヲー」という低い声(警蹕(みさき)の声)。東大寺二月堂の修二会(お水取り)の際に行われる、激しい韃靼(だったん)の所作。

いずれも長い間、途切れることなく続けられている祈りの行事で、古くからずっと変わらない。

また、そうした有名な寺社だけではなく、地方の小さなお社でも(すべてが史実ではないにしても)驚くほどの歴史を持ち、ずっと地元の人たちを守り、守られ続けてきた神さまがおわしたりする。他の土地とは時間の単位が違っているのだ。単純に「古いものだからいい」と言うつもりはないが、それだけの時を経て目の前に存在するものには、自然と畏怖の念がわくものだ。

もちろん、こうしたタイプのものだけではなく、吉野山・金峯山寺の「節分会」には、ユニークな蛙が登場するし、飛鳥坐神社の「おんだ祭」では、夫婦和合のシーンがユーモラスに演じられ、参拝客から大きな笑い声があがる。素朴で楽しく笑えるものなどもいくつもある。

語弊のある言い方になるが、これらは現代的に洗練されたりしていない。だからこそ、そこに霊性を感じ、人によっては「いまなお残る古代文明」と見えるのだろう。




また、奈良の街をこう説明すると、まるで東南アジアや太平洋の島々のようでもある。

「街の中心部なのに野生動物の姿が見られ、手付かずの大自然が広がっている。途絶えることなく祈りが捧げられる施設があり、少し歩くだけで古代の文明に触れることができる。」

さらに「かつて王朝が栄えた古代都市」という言い方をしても、あながち的外れではないだろう。日本の歴史から切り離して考えることで、奈良という土地の新たな一面が見えてくるのかもしれない。




最後に、『d design travel 奈良』の編集長さんの言葉から、もう一箇所だけご紹介しておきます。

奈良県は道。私たちが歩んできた道。奈良県は、古代の物事をすぐ近くに感じる事ができる。手付かずの自然の中を人間がどのようにして歩いてきたのか、どうやって「日本」がつくられていったのか、そんな大それた事を、当たり前に理解できる。そんな場所へ行くための道がある。その道を歩んで辿り着く場所は必ず美しい。でも、そこから振り返ってみた、私たちが歩んできた道と、遠く離れて見える日常に暮らす町、戻るべき現実の方が、もっと美しく、もっと愛おしい。その事に、奈良県の旅は気づかせてくれる。

(P125「編集長が行く 空閑トラベルII」より)











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