2011-01-22

葛城市きてみてネット主催『葛城講座』聞いてきました

葛城市きてみてネット主催『葛城講座』聞いてきました

特定非営利活動法人『葛城市きてみてネット』さんが開催した葛城講座「葛城の當麻」という講座を聞いてきました。偉い先生が来てそのお話を伺うなんて、昔は大嫌いだったものですが、今回は興味のある「當麻寺」がテーマということで、本当に勉強になりました。今から学生に戻りたくなったくらいです(笑)


葛城市で活動中の特定非営利活動法人です

特定非営利活動法人として、葛城市周辺で活動なさっている団体『葛城市きてみてネット』さん。私もこの近辺の住民のため、以前から相互リンクをさせていただくなど、お世話になっていました。

そんな葛城市きてみてネットさんが、「葛城市伝統文化アーカイブ事業」として、全3回の「葛城講座 もっと知ろう!私たちの葛城」という講座を行っていましたので、最後の第3回目を拝聴してきました(講座はすでに終了しています)。


葛城講座「葛城の當麻」-01

『特定非営利活動法人 葛城市きてみてネット』さんのホームページ。葛城市とその周辺の濃い情報を伝えてくださっている団体です


水野正好先生の語り口が楽しいんです

葛城講座の内容は、以下のようになります。



●葛城講座 もっと知ろう!私たちの葛城

第1回 葛城の高尾張 尾張氏の誕生地

葛城の南、高尾張の地を中心に尾張氏が大きな力をもっ ていました。天皇家に沢山の娘さんを送り皇后や妃になり ました。やがて彼らは尾張国・美濃国(愛知・岐阜)に移り、それぞれの地を代表する名家として活躍します。

第2回葛城の葛城 葛城氏の隆盛の地

葛城の名柄の地を中心に尾張氏のあとをついで大きな氏 となるのは武内宿禰を祖とする葛城氏です。神功皇后とと もに朝鮮半島に進出、日本に中国、韓国の高い文化、多くの優れた文物を舶来、一方で天皇家の姻籍にもなります。

第3回 葛城の當麻 極楽往生の聖地

奈良時代、見出された「極楽」は人々の死後の世界を大きくかえました。彼岸の日、二上山の西の彼方に赴く夕陽は人々を極楽へ誘うと信じられました。アミダ仏と菩薩に迎えられ彼岸へ往生する寺へと當麻寺は発展するのです。


ものすごく渋い内容ですし、私はこの手の座学には縁遠いのですが、第3回のテーマは「葛城の當麻 極楽往生の聖地」と『當麻寺』のお話ということで、かなり興味があったんですよね。

会場に行ってみると、立派なホールの座席はほぼ埋まっているような盛況ぶりでした。講師を担当してくださっていたのは、大阪府文化財センター理事長・元奈良大学学長の「水野正好」先生でした。この方の語り口が、まるで上方落語のよう!最後まで全く飽きませんでした(笑)


葛城講座「葛城の當麻」-02

葛城講座の会場になったのは「葛城市歴史博物館」内にある『あかねホール』でした。歴史資料の展示などもある立派なホールです(画像は以前撮影したもの)

葛城講座「葛城の當麻」-04
講師は、大阪府文化財センター理事長・元奈良大学学長の「水野正好」先生でした。先生のお話を伺うのは初めてでしたが、まるで上方落語を聞いているかのような軽妙さです!予定時間の90分を軽くオーバーして、2時間近くの熱弁でした。内容も素晴らしくて、最後まで全く飽きませんでした


「極楽=ごっつい楽しいところ」でした

せっかくですから、その時の私のメモを書き起こしておきます。あくまでもメモですから、聞き間違いや書き漏れもあると思いますが、私の復習を兼ねて。


●古くは、「極楽=ごっつい楽しいところ」という認識だった

●葛城周辺には渡来人が多く住み着いたこともあり、極楽寺などの名前の寺院も多い

●平城遷都の際に、飛鳥から飛鳥寺が移され、現在の元興寺に。東大寺が出来る以前は、最大の寺院だった。藤原不比等が、元興寺に隣接する丘を与えられ(猿沢池を含む)、橿原市にあった厩坂寺(うまさかでら)を移転させたのが、現在の興福寺。

●元興寺では、智光(ちこう)と礼光(らいこう)という二人のお坊さんがいた。ある日、礼光はしゃべらなくなり、しばらくしてから死んでしまう。後に智光の夢枕に立ち、極楽の美しさを伝えた。その話をもとに、2尺四方の極楽図を描かせ、それを祀ったのが現在の「元興寺・極楽坊」。

●当麻寺は、用明天皇の第三皇子であった「麻呂子親王(まろこしんのう)」が建てさせたお寺。当時は、竹の内街道を、叡福寺を通って向かうルートが正式だった(双塔の間を通るルート。現在は無くなっている)。

●その後で、中将姫が編んだとされる曼荼羅を祀るために建てられたのが曼荼羅堂(現在の本堂)。曼荼羅を飾るためのお堂だったので、当初は細長い形だったのを、増築して現在の形に。それに合わせて現在のように東側の門から入るようになった。

●大和の国中であった三輪山辺りからは、お彼岸の日に、極楽がある西方の二上山の間に夕日が落ちる。これが重要だった。

●その発想を取り入れたのが大阪・四天王寺。四天王寺からは、摩耶山に夕日が落ちるので、西方浄土に近づける寺と名乗った。それが有名になり、後には天皇まで来たほど。四天王寺の西側が極楽なので、現在の新世界あたりも極楽に入る。

●額安寺と繋がりがある僧・忍性は、四天王寺に入って石の鳥居「西門」を作った。この鳥居は「極楽の東門」と書いてある。この向こう側に夕日が落ちるから、四天王寺は極楽に近いところとした

●さらには、四天王寺の東側にある東大阪市・往生院からは、四天王寺の五重塔に夕日が落ちるのが見える。「四天王寺=極楽」だったので、「往生院=西方浄土が見られるお寺」だった。

●古くから練供養をやったり、極楽に召されるために、いろんなコトをやった。


ものすごく大雑把なまとめですが、人々は極楽へ召されることを熱望し、その象徴的な存在だったのが當麻寺(=二上山)だった」という感じでしょうか。本当に勉強になりました!ありがとうございました。


葛城講座「葛城の當麻」-05

会場で配布されたレジュメ。全部で24ページあります

葛城講座「葛城の當麻」-06
当麻寺の境内図。現在は、本堂(曼荼羅堂)の正面の東門から入りますが、当初は南側の東塔・西塔の間に門があり、そこがメインだったとか。主要道路だった竹の内街道を、叡福寺辺りを通って参拝したのだそうです

葛城講座「葛城の當麻」-07
四天王寺と夕日の位置関係などを説明した図。向かって右は、播磨浄土寺の来迎阿弥陀像。浄土寺は当時は東大寺の荘園だった土地にあるため、こんな立派な仏さま(快慶作!)が作られました

葛城講座「葛城の當麻」-08
当麻寺の練供養の写真も。人々の極楽と往生を願う心を現れた行事です


■特定非営利活動法人 葛城市きてみてネット

HP: http://www.kitemite-net.or.jp/
住所: 奈良県葛城市疋田379
電話: 0745-69-7590

※この講座は「2011年1月15日」に開催されました






  • Twitterでフォローする
  • Facebookページを見る
  • Instagramを見る
  • ブログ記事の一覧を見る







メニューを表示
ページトップへ