歌人・西行が愛した奥千本『西行庵』の紅葉@吉野山
吉野山の奥千本にある『西行庵(さいぎょうあん)』。こよなく花を愛した、平安~鎌倉時代の歌人「西行」が庵を結び、この地で3年を過ごしたとされる場所です。春は桜の名所として知られており、この日は見事な紅葉が観られました!西行が水をくんだ「苔清水」もすぐ近く。山奥の寂しい場所で、西行がここで過ごした当時の様子をあれこれ想像してきました。
花を愛した西行法師が隠棲した場所
吉野山の最奥部、奥吉野にある『西行庵(さいぎょうあん)』。春は桜、秋は紅葉の名所として知られています。
観光客が訪れるような場所としては、吉野山の中でももっとも奥地にあり、ロープウェイ「吉野山駅」から徒歩で約2時間ほど。吉野大峯バスに乗って、終点の「奥吉野(奥千本口)」で下車、そこから徒歩20分ほど歩くのが一般的です。
『西行庵』とは、平安時代末から鎌倉時代にかけて生きた歌人「西行法師(さいぎょうほうし)」(Wikipedia)が、ここで3年ほど隠棲した場所とされています。当時と今では状況が違いますが、そこがいかに厳しく寂しい場所であったのか、ひしひしと伝わってきました。
奥千本口のバス停前には、奥吉野の『金峰神社』の鳥居「修行門」があります。桜の季節とは違い、ここまで車で登ることもできますが、基本的に駐車スペースはありません
急な坂道を5分ほど上ると『金峰神社』の鳥居前に出ます。左手を少し行くと「源義経のかくれ塔」があります。右手の道を選ぶと西行庵の方面へ向かいます。ここからさらに20分ほど歩きます
山道の入口部分にあったマップ。西行庵への近道に見える向かって右手の道から進み、ぐるりと一周するコースになっています。桜の季節は順路に従って周ります。私たちはルートが閉鎖されていると勘違いしてしまって、行きも帰りも左手のコースを使用しました
最初は石畳と石段が整備されています。路面が濡れているとだいぶ滑りやすいのでご注意を。この先でルートが分岐します
左の「安禅寺蔵王堂跡(宝塔院跡)」方面へルートをとると、すぐにこんな風景に。「奥吉野シロヤマザクラ再生プロジェクト」として、杉の木を伐採し、桜の木を植える作業が続けられています
すぐに「安禅寺蔵王堂跡(宝塔院跡)」の四阿(あずまや)が見えてきます。今は何もありませんが、明治の廃仏毀釈が起こるまで、大小の寺院が点在していたのだとか。現在は金峯山寺蔵王堂の内陣に客仏として祀られている、身の丈4mあまりの「木造蔵王権現立像」(重文)も、この辺りにあった安禅寺蔵王堂のご本尊だったとか
さらに進むと「四方正面堂跡」へ出ます。吉野山を背に3方向が開けた場所に建っていたお堂のようです。今では何もありませんが、西行がここに庵を結んだ鎌倉時代初期ごろには、修験者や僧侶などの姿も少しはあったんでしょうね
「四方正面堂跡」の近く。杉から桜への植え替えが進んでいます。平日の午後だったため、作業中の林業関係者の方たちの姿も多く見かけました。ちょっと殺風景な印象ですが、吉野山の将来のために必要な作業ですので暖かく見守りましょう
西行が歌に詠み、芭蕉も訪れた「苔清水」
しばらく進むと「苔清水(こけしみず)」という水場に出ます。
近くの『西行庵』へ3年間(おそらくは冬以外)隠棲した西行は、ここの水を汲んで使用していました。吉野の桜を愛した西行は、ここでたくさんの美しい歌を詠みましたが、この苔清水を詠んだ歌も伝わっています。
汲みほすほどもなき住居かな
小さな庵の一人暮らしでは、それほど多くの水も必要なかったはずですから、一日一度ほど、苔清水までの細い山道を歩いて水を汲んでいたのでしょう。
また、西行を敬慕していた江戸時代の俳人・松尾芭蕉は、ここへ2度も訪れています。「とくとくの清水は昔にかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ける。」(野ざらし紀行)と記し、以下のように詠んでいます。
●「露とくとく試(こころみ)に浮世すすがばや」 (野ざらし紀行)
●「春雨の 木下(こした)につたふ 清水哉」(笈の小文)
西行も使った「苔清水」。苔むした岩から清らかな水が流れています。向かって左手には、松尾芭蕉が詠んだ「春雨の 木下(こした)につたふ 清水哉」の石碑が建っています
竹で作られた樋から、今でも清水が流れ落ちていました。手を濡らしてみると、驚くほど冷たかったです。今から約八百年も昔、心から吉野の桜を愛した歌人がここの水を汲んでいたかと思うと、不思議な気持になりますね
向かって右手にも石碑があり、判別しづらくなっていますが、芭蕉の「露とくとく試に浮世すすがばや」のようです
見事な紅葉!ひっそり小さな庵です
「ねがはくは花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃」という有名な歌で知られる西行(この歌は晩年、河内・弘川寺で詠まれたもののようです)。もとは武士でしたが出家し、月と花を愛する漂白の歌人として全国を旅し、吉野山にも何度も入山していました。
吉野山では花の歌を六十余首も詠んだとされており、そのいくつかを挙げてみます。
まだ見ぬかたの 花を尋ねむ
心は身にも そはずなりにき
心にかかるみ吉野の山
その西行が結んだとされる『西行庵』は、本当に小さな庵です。この山奥に、八百年も前の建物がそのまま残っているとは思いませんが、自然木をそのまま使った素朴な建物で、とても雰囲気がありました。
中央には西行の姿を写した木造がありますが、まさにここに座って花々が咲き誇り、そして散っていく姿を見つめていたのでしょう。美しい紅葉に囲まれた様子を見ていると、隠者としての生活に憧れもあり、厳しい自然環境への不安もあり、いろいろと想像が広がりました!
紅葉のピークを迎えた、奥吉野の『西行庵』。手前の木も大きいのですが、その向こうの庵の小ささが際立ちます。こんなところにずっと一人で過ごすことを考えると、いろんな不安もありそうですね
西行庵の内部には、印を結んだ西行の坐像が安置されています。柱には自然に曲がった木を使ってあり、いかにもそれっぽいですね。雨戸などもありませんし、ずっと雨風が吹き抜けているようです
西行庵に建っていた歌碑。「とくとくと落つも岩間の苔清水 汲みほすほどもなき住居かな」の歌が刻んであります
西行庵についての説明看板
「高城山展望台」の紅葉がピーク
見晴らしのいい「高城山展望台」は、その昔、後醍醐天皇の皇子・護良親王が砦とした場所たとか。歩道の周りは紅葉の木が植わっていて、燃えるような赤に染まっていました!
「花矢倉展望台」からの秋の夕暮の景色
吉野山をさらに下り、吉野水分神社の下くらいにある「花矢倉展望台」。金峯山寺など、吉野を一望できる絶景ポイントで、春の桜の季節には眼下がほのかな桜色に染まります。もう夕方になり、淡く霞んだ光景が観られました
花矢倉展望台のさらに少し下のカーブから
■西行庵
HP: 参考サイト(吉野町)
住所: 奈良県吉野郡吉野町吉野山
電話: 0746-32-3081(吉野町役場 経済観光課)
アクセス: ロープウェイ吉野山駅から、吉野大峯バス「奥吉野(奥千本口)」下車、徒歩20分ほど
■参考にさせていただきました
西行 - Wikipedia
近畿日本鉄道|スポット情報 西行庵
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