2011-08-08

女流歌人が静かに眠るお墓『鏡女王忍阪墓』@桜井市

女流歌人が静かに眠るお墓『鏡女王忍阪墓』@桜井市

万葉集で有名な女流歌人・鏡王女(かがみのおおきみ)のお墓『鏡女王忍阪墓』にお詣りしました。こちらは桜井市忍阪の「舒明天皇陵」から歩いて数分の位置にありますので、万葉集がお好きな方はぜひお詣りしてみてください!


鏡王女は額田王の姉?藤原不比等の生母?

「鏡王女(かがみのおおきみ)」(この他、鏡女王・鏡姫王とも)は、最初は天智天皇の妃でしたが、後に藤原鎌足の正室となった、有名な万葉女流歌人です。藤原鎌足の病気平癒を祈願し、山階寺(後の興福寺)を建立したことでも歴史に名を残しました。

この時代の女性は、詳細が分からない方が多いものですが、鏡王女も同様です。万葉集に多くの名歌を遺した女流歌人・額田王の姉という説、藤原不比等の生母という説、舒明天皇の皇女だという説など、様々な予想がなされています。

そのお墓となる『鏡女王押坂墓』は、桜井市忍阪の「舒明天皇陵」のさらに奥、山道を数分歩いたところにあります。

鏡女王墓@桜井市-01
舒明天皇陵からさらに奥へ進むと、万葉女流歌人として有名な『鏡女王墓』があります。ほんの数分ですが、夏は下草が生い茂るような道も歩きますので、他の季節に行った方がいいかもしれません


万葉歌碑「秋山の 木の下隠り 行く水の」…

鏡女王墓@桜井市-02
鏡王女の墓へ行く途中、道沿いの小川の中に犬養孝先生が揮毫した万葉歌碑が立っています。少し水かさが増したら水没しそうな、変わった立地でした。歌は、鏡王女が天智天皇に贈った「秋山の 木の下隠り 行く水の 我れこそ増さめ 思ほすよりは」です


この歌は、「天皇、鏡王女に賜ふ御歌一首」という以下の歌への返答として詠まれたものです。ちなみに、「大島の嶺」とは、生駒山の高安山との説もあり、鏡王女はその辺りに暮らしていたのかもしれません。

妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる
大島の嶺(ね)に 家もあらましを
天智天皇 万葉集 巻第2-91
せめてあなたの家だけでもいつもいつも見ることができたらなあ。大和のあの大島の嶺に我が家でもあったらなあ。
秋山の 木(こ)の下隠り 行く水の
我れこそ増さめ 思ほすよりは
鏡王女 万葉集 巻第2-92
秋山の木々の下を隠れ流れる川の水かさが増してゆくように、私の思いの方がまさっているでしょう。あなたが私を思って下さるよりは。


この2首に続いて、万葉集には藤原鎌足と贈り合った歌が収められています。

天智天皇は、妻であった鏡王女を大切な臣下である藤原鎌足に譲り渡し、鎌足も天皇からの重要な妻を譲られたことに感激していたことでしょう。今の時代では、女性の人格を無視したとんでもない男尊女卑的な行為ですが、当時はこのようなこともあったようです。

余談ですが、藤原鎌足は、天皇の所有と考えられていた女官・釆女(うねめ)の「安見児(やすみこ)」を娶る許しを天皇から得たことを喜ぶ、「我れはもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすという 安見児得たり」という、シンプルに喜びを詠った歌を残したとされています。采女でこの喜びようですから、妻を下賜されたことへの感激は大きかったことでしょう。

この二人の相聞歌は、妻のもとを訪れる「妻問い」の後で交わされたものです。

玉櫛笥(たまくしげ) 覆ひを易(やす)み 明けていなば
君が名はあれど 我が名し惜しも
鏡王女 万葉集 巻第2-93
玉櫛笥の覆いではないが、二人の仲を覆い隠すなんてわけないと、夜が明けきってから堂々とお帰りになっては、あなたの浮名が立つのはともかく、私の名が立つのが口惜しうございます。
玉櫛笥 みもろの山の さな葛(かづら)
寝ずはつひに有りかつましじ
藤原鎌足 万葉集 巻第2-94
あなたはそんなにおっしゃるけれど、玉櫛の蓋ならぬ実という、みもろの山のさな葛、そのさ寝ずは -共寝をしないでなんかいて- よろしいのですか、そんなことをしたらとても生きてはいられないでしょう。


意味が取りづらい歌ですが、鏡王女が「二人の仲を隠すのは嫌だ」と言う女性らしい歌としたり、皇族が臣下の一般人へ嫁いだことで、「名前を出されるのは恥ずかしい」というのが本意だったとする説など、色々と考えられているようです。

また、後で調べてみたところ、鏡女王の墓は、現在は「談山神社」(紹介記事)が管理しているそうです。藤原鎌足公ゆかりのお社ですから、その奥さんである鏡王女のお墓を守るのも大切なことなのかもしれません。

また、その談山神社の境内にある「恋神社」は、鏡女王を縁結びの神としてお祀りしています!中大兄皇子と藤原鎌足という、時の権力者二人から愛された方ですが、こんな祀り方もあるんですね。興味がある方はこちらも合わせてどうぞ。


鏡女王のお墓は小さく簡素な古墳です

そんな鏡王女の墓は、舒明天皇陵から数分歩いた場所にあります。舗装道路を歩いているうちはいいのですが、そのうちあぜ道のようなところを歩きますし、道しるべもありません。ちょっと不安になりますが、小さな岡を目指して進んでください。

鏡王女の墓自体は、前に看板と石碑が建つだけの小さな古墳です。宮内庁の管理ではありませんので、比較的間近で見られますし、周囲を一周することもできます。お墓自体は特に面白いものではありませんが、ぜひここにお詣りして、女流万葉歌人の歌の一首でも思い出してみてください。


鏡女王墓@桜井市-03

そんな万葉歌碑を横目に、こんな道を歩きます

鏡女王墓@桜井市-04
途中から舗装もされてない道になりますし、案内も何も出ていないので不安になりますが大丈夫。こんもりした古墳が目印です

鏡女王墓@桜井市-05
鏡王女の墓の前。石碑と門、簡単な案内があります。ここは天皇陵とは違って、宮内庁の管轄になっていませんので(談山神社が管理しているそうです)、やや距離が近めですね。古墳もそれほど大きくないので、周囲を一周することもできます

鏡女王墓@桜井市-06
鏡女王押坂墓「鏡女王は、万葉歌人として知られ、夫の藤原鎌足や天智天皇との問答歌など4首の歌が残されています。舒明天皇陵からここまで来る途中の小川の岸辺に、犬養孝氏の揮毫による彼女の万葉歌碑が建っています。又、その妹とされる額田王も万葉集の代表的歌人であり歌人姉妹といわれています」

鏡女王墓@桜井市-07
建てられた石碑には「鏡女王忍阪墓」とあります。鏡女王だったり鏡王女だったり、また忍阪だったり押坂だったりと、表記がたくさんあってややこしいですね(笑)



大きな地図で見る


■鏡女王忍阪墓

HP: 参考サイト(Wikipedia)
住所: 奈良県桜井市大字忍阪
駐車場: あり
アクセス: 近鉄・JR「桜井駅」から、菟田町行きバス「忍阪」バス停下車、徒歩約5分


■関連する記事


■参考にさせていただきました!

鏡王女 - Wikipedia
鏡王女墓 - 奈良の名所・遺跡
「なんちゃって-おじさん」の独り言: 恋神社と鏡女王墓










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