2011-04-10

万葉歌碑めぐり『川原寺跡』『橘寺』@明日香村

万葉歌碑めぐり『川原寺跡』『橘寺』@明日香村

明日香村川原にある『川原寺跡』と『橘寺』の間に万葉歌碑が建っています。川原寺の琴に書かれたという、現代にも通じるような厭世的な歌が刻まれています。


万葉歌碑「世間の 繁き仮廬に 住み住みて…」

明日香村の『川原寺跡』と『橘寺』との間にも万葉歌碑が建っています。


飛鳥川の万葉歌碑@明日香村-09

明日香村の『橘寺』と『川原寺跡』の間に建っている万葉歌碑。「世間(よのなか)の 繁き仮廬(かりほ)に 住み住みて 至らむ国の たづき知らずとも」。作者未詳で犬養孝さんの揮毫です

飛鳥川の万葉歌碑@明日香村-10
歌の訓読と訳。「うるさい仮住まいのような人の世に住みつづけていて、これからどんな様子の国へ行きつくのかも分からない」という、何とも厭世的な一首です


橘寺の前(というよりも川原寺跡の前)に建つ万葉歌碑は、「世間の無常を厭ふ歌二首」と題された歌の一首です。左注には「河原寺の仏堂の裏に倭琴(やまとごと)の面にあり」とあり、川原寺にあった倭琴(和琴)に書かれていたものだとか。

生き死にの 二つの海を 厭はしみ
潮干(しほひ)の山を 偲ひつるかも
作者未詳 万葉集 巻第16-3849
生と死の二つの苦海(くかい)であるこの世の厭わしさに、苦海の干上がった所にあるという山に到り着きたいと、心から思いつづけています。
世間(よのなか)の 繁き仮廬(かりほ)に
住み住みて 至らむ国の たづき知らずとも
作者未詳 万葉集 巻第16-3850
この人の世の、煩わしいことばかり多い仮の宿りに住み続ける我が身とて、願い求める国へ到り着く手だても、今もって分からないままです。


とっても厭世的な、現代にも通ずる胸の内の虚しさが伝わってくるような内容で、思わず共感してしまいます。こんな歌も歌碑となっているのは面白いですね。

川原寺跡となっている場所には、飛鳥板葺宮から一時的に宮が移され「飛鳥川原宮」が営まれていました。その跡地が川原寺となったとされています。当時の巨大寺院でしたから、楽団員もいたでしょうし、その中の誰かが書いた歌なのかもしれません。


万葉歌碑「橘の 寺の長屋に 我が率寝し…」

また、川原寺跡の真向かいにあるのが、聖徳太子の生誕のお寺とも伝わる『橘寺』です。詳しくはこちらをご覧ください。


橘寺に関する万葉歌といえば、「古歌に曰く」という題詩がついたこの艶めかしい歌が有名です(さすがに万葉歌碑にはなっていないようです)。

橘(たちばな)の 寺の長屋に 我が率寝(ゐね)し
童女(うなゐ)放髪(はなり)は 髪上げつらむか
作者未詳 万葉集 巻第16-3822
橘の寺の長屋に私が引っ張り込んで寝た、童女髪(うない)というか放髪(はなり)というかあのおぼこ娘、もう一人前に髪を結い上げていることだろうかなあ。

「童女放髪(うないはなり)」とは、童女のおかっぱ頭のこと。そんな娘をお寺に「引っ張り込んで寝た」というのはよろしくないお話ですが…。ただし、橘寺は古くは尼寺でしたので、尼僧が詠んだ歌という可能性はあるようです。しかし、これが男性の僧侶が詠んだとすることも考えられますから、昔の人はおおらかだったのかもしれませんね。










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