2013-09-02

石槨?天文台?エリア最大の謎の巨石『益田岩船』@橿原市

石槨?天文台?エリア最大の謎の巨石『益田岩船』@橿原市

橿原市白橿町にある『史跡 岩船』(通称「益田岩船(ますだいわふね)」)は、標高約130mの石船山にある、推定800トンの巨石です!上部には2つの四角い孔が彫られており、何を目的としたものかは不明。古墳の石槨・天文台・祭壇・空海の石碑の台など、色んな説がある不思議な石を見てきました。


小さな山の山頂にある推定800トンの巨石

明日香村から高取町、橿原市の一帯には、多数の古代の石造物が遺されています。その中で最大のものが、橿原市白橿町にある『益田岩船(ますだいわふね)』(正式には「史跡 岩船」)です。

重さ800トン(!)と推定される巨石で、上部には二つの大きな四角い孔が掘ってあります。古墳に使用される「横口式石槨」が作りかけのまま放置された説、星占いの台座説、天体観測に使った説など諸説ありますが、何のためのものなのか結論が出ていない、謎の巨石です。

所在地は、橿原市立白橿南小学校の裏手にある「石船山」の頂上近く、標高約130mの地点。まわりは橿原ニュータウンという新興住宅地で、この日は史跡公園として整備工事が行われていました。特に大きな目印などはありませんので、ちょっとややこしいかもしれませんね。

わずか5分ほどですが山道を登ることになりますので、それなりの靴を履いて行くとベターです。道はある程度は整備されていますが、雨の翌日などはぬかるむでしょう。また、この日は8月末ということもあり、とにかくヤブ蚊がすごくて、落ち着いて立っていられないほどでした。出来れば夏は避けた方がいいですね(笑)


『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-01

橿原市白橿町にある『史跡 岩船』(または「益田岩船」)の周辺。まわりは新興住宅街として開発されています。この日は史跡公園の整備工事中で、ちょっと騒がしい感じでした

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-03
「史跡 岩船」の説明。ものすごく詳細な記述です(大雑把な要約を後で掲載します)。益田岩船は、標高130mほどの「石船山」の頂上近くにあります。説明看板がある脇、石垣の間の石段を登っていきます

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-04
益田岩船へのルート。5分ほど登るだけですから、それほど厳しいものではありません

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-05
一部でこのような補助ロープが張ってあるような場所もありますので、これを掴んで進んでください

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-06
鬱蒼とした竹やぶの向こうに、大きな『益田岩船』の姿が見えてきます!


加工途中で放置された不思議な石です

この『益田岩船』の特徴をまとてると、以下のようになります。

●石船山の頂上近く、標高約130mの地点にある
●素材は「花崗岩」
●大きさは、東西11.0m×南北8.0m×高さ4.7m。台形。
●頂上部には東西2つの方形の孔が。西側-東西1.5m×南北1.6m×深さ1.3m、東側-東西1.6m×南北1.6m×深さ1.3mとほぼ同じサイズ。
●この他、浅い溝状の切り込みなども
●北側は表面を滑らかに仕上げてあるが、東西と南側は石の整形のためと考えられる格子状の溝が刻まれている など。

重さは推定800トンという説もあり、これは石舞台古墳の天井石の10倍以上の重量にも達します。ここ岩舟山には花崗岩は産出しないため、こんな巨石を他の土地から運んできた可能性もあるそうです(運搬方法は不明)。

近づいてみるとその大きさに驚きますし、表面を加工している途中で作業が中断された様子などが伝わってきます。千年以上も前の石職人さんの気配が感じられるようで面白いですね!


『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-07

大きさ比較。「東西11.0m×南北8.0m×高さ4.7m」という巨石ですが、北側は地面に埋まっているため、大人の背丈より少し高いくらいになります。橿原市の「益田岩船」ページの写真が分かりやすいですね

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-12
斜め上から見下ろしたところ。上部に二つの大きな孔が開けられています。固い花崗岩を美しく切り出しています

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-13
東側の面に近づいたところ。きっちりとカットしてありますね

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-15
高い位置からの全体像。何のためにここまで彫られて、何故そのまま放置されたのでしょうか?

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-14
さらに上から。周りが竹やぶのため、ここまで引くのが限界でした。昔は竹も茂っておらず、周りが見渡せたそうです。なお、地元のお子さんたちにとっては益田岩船はかっこうの遊び場で、滑り台代わりに遊んでいたという話も聞きますが、いい大人なので自重しました(笑)

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-10
北側の面のアップ。なめらかに仕上げてあります

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-08
南側などは、格子状の溝がそのまま見られます。表面を削る際に、こうしてエリアを小さく区切ってから、順番に仕上げて行ったんでしょうね

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-09
上部だけ表面の仕上げが済んでいますが、その状態で千年以上も放置されています

『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-17
益田岩船のすぐ脇にも「史跡 岩船」の説明書きがありました


横口式石槨の作りかけ?弘法大師の石碑の台座?

益田岩船が何を目的として作られたものなのか、古くからたくさんの意見が出されてきました。色んな想像が出来て面白いですね。

●古墳の「横口式石槨」の作りかけ説
●占いや天体観測に使った説
●神への儀式の際の祭壇だった説
●平安時代に造られた「益田池」を賞賛する弘法大師の石碑の台石だった説(上の石碑は高取城築造の際に持ち去られた)
●ゾロアスター教徒の拝火台説(松本清張さんの「火の路」で登場)など


また、益田岩船の素材ですが、硬くて重い「石英閃緑岩(花崗岩の一種)」を使用しています。古墳に収められる石槨や石造物の素材としては、やわらかくて加工しやすい、二上山の「凝灰岩」が使用されるイメージですが、これは時代によって変遷が見られるのだそうです。

更に使用されている石材については鬼の俎・雪隠古墳や益田岩船では硬質の石英閃緑岩が、牽牛子塚古墳では軟質の凝灰岩が使用されています。

他の飛鳥地域の古墳をみると6世紀から7世紀中頃にかけて硬質の花崗岩等が使用され、7世紀後半以降になると軟質の二上山系凝灰岩へと変化していきます。このように考えると飛鳥の刳り貫き式石槨墳は鬼の俎・雪隠古墳から益田岩船、そして牽牛子塚古墳の順に築かれていったと考えることができます。


『史跡 岩船』(益田岩船)@橿原市-16

益田岩船の頭上だけ竹やぶが切れて、青空が広がっていました。季節がいい時にここでのんびりと妄想に浸るのも楽しそうですね!



大きな地図で見る


■岩船(益田岩船)

HP: http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunkazai/spot/masudano_iwafune.html
住所: 奈良県橿原市白橿町
電話: 0744-47-1315(生涯学習部文化財課)
駐車場: なし
アクセス: 近鉄吉野線「岡寺駅」から徒歩20分ほど

※実際に行ったのは「2013年8月28日」でした


■参考にさせていただきました

益田岩船 - Wikipedia
朝日新聞社:【益田岩船】奇っ怪 愉快 豪快な巨石


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