
私邸跡にひっそり祀られる『伝有間皇子の墓』@生駒市
悲劇の皇子「有間皇子」のお墓は和歌山県海南市にあります(紹介記事)。しかし、奈良県生駒市の壱分町に、有間皇子の私邸跡の伝承地があり、そこにもお墓として伝わっている場所があるそうです。以前にお参りした際の様子をご紹介しておきます。
「市経の家」があったと伝わる生駒市壱分町
孝徳天皇の皇子で、中大兄皇子のライバルと看做される存在だった「有間皇子(ありまのみこ)」(Wikipedia)。和歌山県海南市にある「藤白坂」で処刑されたとされており、そのお墓が遺っています。
有間皇子が処刑される直接のきっかけとなったのは、自宅を訪れた蘇我赤兄にそそのかされ、斉明天皇と中大兄皇子の失政を指摘したことでした。奈良県生駒市の壱分町には、有間皇子の私邸があった「市経(いちぶ)の家」と伝わる場所があり、それこそが蘇我赤兄が訪れた場所であるとされ、そこには有間皇子のお墓と伝わるものまで遺されています。
そこは、近鉄生駒線「一分駅」から徒歩5分ほどの場所にある、浄土真宗本願寺派の寺院「無量寺」の裏山にあります。
この辺りはとても細い路地のため、車では通行不可。必ず徒歩で向かうようにしてください。また、案内図も何もありませんので、迷子になる覚悟で時間に余裕を見ておくようにしてください。
生駒市壱分町の『無量寺』。有間皇子のお墓と伝わる場所は、このお寺の近くの竹やぶの中にあります
簾尾山 無量寺の案内。「浄土真宗本願寺派。本尊 阿弥陀如来立像、池付近にある五輪塔は、総高134.5cm、生駒を舞台に活躍した、宋人石大工 伊行末派の井行氏(いのゆきうじうきゆじ 伊行氏)の作で、地輪に嘉元2年(1304)銘および僧行基への追慕を表した長文を刻む。水輪は別物を載せる。」
無量寺の本堂に向かって右手、石垣にそってこんな細い道を進みます
こんな場所を少しだけ(1分ほどだったはず)歩くと、何の案内もありませんが、小さなお墓らしきものが見えてきます
竹やぶの中のお墓は小さくひっそり
そんな道を進んでたどり着いた先には、小さな小さなお墓らしきものがあります。特に何の目印もありませんが、どうやらこれが『伝有間皇子の墓』のようです。ちゃんと手入れされているのが伝わってきて嬉しいのですが、お墓の前に石の人形が置かれていて、やや不気味な印象も…。
とにかくひっそりとしたところですので、お参りに行かれる方は近隣の方たちのお邪魔にならないようにお気をつけください!
竹やぶの中にある小さな小さなお墓。これが有間皇子のお墓と伝わるものなのだそうです。特に名前が書いてあったりすることもなく、何の目印もありません
前においてある小さな石の人形(着物姿で手に軍配を持っています)が、意味が分からないので、やや不気味に感じられます。ここに有間皇子の亡骸が葬られている可能性は低いと思われますが、ちゃんと手入れされているのは伝わってきますね
■伝有間皇子の墓
住所: 奈良県生駒市壱分町853 (住所は「無量寺」のもの)
駐車場: 付近は道幅が細く、車では行けません
アクセス: 近鉄生駒線「一分駅」から徒歩5分ほど
※現地に行ったのは「2011年9月29日」でした
※インターネットだけを参考にしていますので、情報が不正確な可能性もありますがご容赦ください
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