江戸時代に大流行した「お伊勢参り」は、男性だけではなく女性も参加しています。彼女たちはどんな身分で、どのような格好で、どのくらいの距離を歩いたのでしょうか?平均で30km程度は歩いていたという江戸時代の“女子旅”について解説した良書です。
一日に30km程度も歩くハードな女子旅
江戸時代の人々の間で大流行した「お伊勢参り」について、“歩行”という観点から掘り下げた良書『歩く江戸の旅人たち』の続編。
当時の日本は現代よりもはるかに男性優位の世界でしたが、その中でもちゃんと大旅行を経験した女性たちはいました。彼女たちはどんな身分で、どのような格好で、どのくらいの距離を歩いたのでしょうか?
『歩く江戸の旅人たち』『歩く江戸の旅人たち2』の女子旅編!
近世は “女子旅の時代”?!関所を越え、難所を歩き、大河を渡る
情熱とバイタリティ溢れる女性たちを惹きつけた近世女性旅の魅力とは?
旅を楽しむためにかなり頑張ってしまう女性たちの気持ちや姿は、現代でも同じなのかもしれませんが、近世後期に大流行した旅は歩くことがメインであったため、旅する女性たちが辛い目に遭うこともありました。その女子旅を安全で快適にしたものは何だったのでしょうか。また、旅費をかけて楽しんだお買い物、名所めぐり、グルメなどを通じて、活発な江戸の女性像を描いてみましょう。
江戸時代の女性の旅は、やはりメンバーは女性のみというのは一般的ではなく、男性たちに混ざるか、安全のため男性の同行者を加えるというのが普通だったようです。
もちろんほとんどの行程が徒歩です(峠超えや川渡りなどは有料サービスを利用することもあった)。走行距離は少ない日で10km、多い日で50km程度にも及び、平均で30km程度は歩いていたのだとか。同様の調査では男性は約35kmだそうですから、それよりもわずかに少ない程度です。
江戸時代の女性たちが旅に出るには、金銭面などの条件をクリアできるとともに、これだけの健脚であることが必須だったのでしょう。
この時代は日本全国に関所があり、幕府は治安維持のために「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まってました。これは江戸へ入ってくる鉄砲、江戸へ人質として住まわせた大名の妻女が地方へ出ることを防ぐものです。
女性の旅人は厳しく調べられましたが、中には手形を持たない旅で関所を避けて迂回ルートを進んだり、案内人を雇って関所破りを行っていた例もあったとか。関所破りが発覚すれば磔です。物語であればそれも旅のスパイスかもしれませんが、現実には大変だったでしょうね。
江戸時代の奈良観光ルートも紹介されてます
また、奈良県民として特に興味深かったのは、当時の観光コースの紹介です。
本書では江戸神田の商家の妻・中村いとさんの記録が紹介されていますが、これが充実しまくりなんです。
伊勢神宮への参拝を終えて奈良へ入ったいとさん御一行は、初日の長谷寺を皮切りに、三輪明神、在原寺、興福寺、春日大社などの古社名刹を巡ります。翌日からも東大寺の大仏、西大寺、法隆寺、龍田大社、當麻寺、飛鳥神社、岡寺などを参り、吉野の吉水神社から和歌山の紀三井寺へと向かったのだとか。
多武峰の妙楽寺(現在の談山神社)や大峰山では女人禁制のエリアなどもあって苦労もしたそうですが、これだけの数の名所を回るパワーがすごいですね!しかもこれを他の土地でも行うのですから、一生分の土産話ができたことでしょう。
また、本書では旅の女性がどのようなお土産物を購入したか、どんな料理を食べたのか、旅費の総額はどのくらいだったのかなども推測されています。都市部での宿泊では熱心に芝居見物にこうじたそうです。この時ばかりは同行の男性陣とは別行動をとっていたんでしょうね。現代とあまり変わらない世界かもしれません。
現代人のイメージでは、江戸時代の女性たちは自由も少なくストレスフルな生活ぶりだったのではないかと思いがちですが、こうした側面もあったことを知ったことで印象が変わりました。面白かったです!
姉妹書『歩く江戸の旅人たち』などもぜひ