『万葉集』を代表する歌人であり編者とされる大伴家持は、越中国守として赴任していた約5年間の間に多くの秀歌を詠んでいます。富山県高岡市にある『高岡市万葉歴史館』では「越中万葉」と呼ばれる万葉歌を中心に、万葉集の素晴らしさを楽しく学べる施設です。
大伴家持が国守をつとめた「万葉故地」高岡市
約4,500首の歌が収められている日本最古の歌集『万葉集』。歌の作者は天皇から農民まで幅広く、詠まれた土地も東北から九州まで日本各地に及んでいます。
こうした万葉集ゆかりの土地は「万葉故地」と呼ばれ、その中には『万葉集』をテーマとした博物館が設けられているところもあります。これらをすべて巡ってみたいとひそかに考えているのですが、なにせ全国に散らばっているためなかなか進みません。
- 都が置かれていた奈良県には『奈良県立万葉文化館』と『犬養万葉記念館』(明日香村)が。
- エリアを旅した歌が107首も残されている和歌山県には『万葉館』が。
- 746年から越中国守として赴任した関係から富山県には『高岡市万葉歴史館』が。
- 758年から大伴家持が因幡国守として赴任した関係から鳥取県には『鳥取市因幡万葉歴史館』が。
この中のひとつ『高岡市万葉歴史館』は、私の実家のある新潟県糸魚川市の近く(とはいえ高速道路を使って1時間以上)ですが、年末年始の帰省時期には当然お休みされているので、これまで行けるチャンスがありませんでした。
ところが2024年10月、地元で開催された「えちご・くびき野100kmマラソン」への参加(詳細はこちら)で帰省する予定ができたため、マラソンを完走した翌日(!)にさっそくお邪魔してきました。
万葉歌碑や大伴家持ご夫妻の像なども
『万葉集』の代表的歌人であり編者と目される大伴家持(おおとものやかもち)(Wikipedia)。越中国守として国庁が置かれた高岡の地に赴任した約5年間に、家持や部下たちが詠んだ300首以上もの歌が伝わっており「越中万葉」と呼ばれています。
家持は名門・大伴氏の跡取りですから、いわゆる都会育ちのいいとこのボンボンです。しかし、都では藤原氏の影響力が増し、大伴氏は徐々に勢力を失っていきます。そんな中での地方赴任ですから、いろんな想いはあったでしょう。
「家持の越中国赴任には、当時の最高権力者である橘諸兄が新興貴族の藤原氏を抑える布石として要地に派遣した栄転であるとする説と、左遷であるとする説があります。」
また、家持は68歳で没した直後、藤原種継暗殺事件の首謀者と疑われ領地を没収される(後に無罪とされる)など、その人生は波乱万丈。大河ドラマの主人公に選ばれても不思議のない人物だと思います。
「春の苑(その) 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 した照る道に 出(い)で立つ娘子(おとめ)」大伴家持 巻19-4139
現代語訳:春の庭園が紅色に美しく照り映えている。桃の花の下まで咲き照る道に、出てたたずむ娘子よ。(詳しくはこちら)
美しく情緒的な名歌として知られている歌ですが、ここ越中で詠まれています。その一連の歌は「越中秀吟」として知られています。
「天皇(すめろき)の 御代栄えむと 東(あづま)なる 陸奥山(みちのくやま)に 金(くがね)花咲く」大伴家持 巻18-4097
現代語訳:天皇の御代が栄えるしるしとして、東の国の陸奥国の山に黄金の花が咲いた。
「立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神(かむ)からならし」大伴家持 巻17-4001
現代語訳:立山に降り置いている雪は、夏のいま見ても見あきることがない。神の山だからにちがいない。
越中万葉の内容などわかりやすく展示
▲立山を背景に立つ大伴家持になり切れる顔出しパネルがあったり。
高岡市万葉歴史館
HP | 【公式】高岡市万葉歴史館 |
SNS | Twitter Instagram YouTube |
住所 | 富山県高岡市伏木一宮1-11-11 |
電話 | 0766-44-5511 |
休館日 | 火曜日(※祝休日の場合は翌日休)、年末年始 |
開館時間 | 9:00~18:00(※11月~3月は17:00まで) |
観覧料 | 一般 300円、中学生以下 無料、65歳以上 240円 など |
駐車場 | あり(無料) |
アクセス | JR氷見線「伏木駅」より徒歩約25分(車で約5分) |