奈良を愉しむ

御神域を間近から!特別参拝「御本殿と禁足地」レポート @石上神宮(天理市)

※記事内に商品プロモーションを含む場合があります。

物部氏の総氏神として知られる天理市の古社『石上神宮』で、神剣フツノミタマの顕現150年を記念した特別参拝「御本殿と禁足地」が行われました。かつて神剣が埋斎されていた御神域中の御神域を、瑞垣の外から拝見できる貴重な機会でした。心から感動しました!

神剣「フツノミタマ」顕現150年を記念して

古代の有力氏族・物部氏の総氏神であり、古くから篤く信仰を集めた『石上神宮(いそのかみじんぐう)』Wikipedia)。古道「山の辺の道」に位置し、現在でも参拝者の姿が絶えない古社です。

その石上神宮で、神剣「フツノミタマ」が顕現(≒調査により存在が確認された)150年を記念して、特別参拝「御本殿と禁足地」が3日間にわたって行われました。

普段は決して人目に触れることのない御神域を、(石の瑞垣(囲い)の外からとはいえ)拝見できたとても貴重な機会です。感動しました!

石上神宮(天理市)で開催された『神剣フツノミタマ顕現150周年記念 特別参拝「御本殿と禁足地」』は、3日間限定(2024/9/21~23)で行われました。

私たちは最終日の9月23日(月・祝)の午後から参加させていただいたのですが、駐車場周辺から大混雑に。他府県ナンバーも多くてまるで初詣のような賑わいでした!
▲普段は静かな石上神宮ですが、境内はこれだけの人が!キッチンカーまで営業していました。おそらく初日などはもっと混雑していたでしょう。

左のテントで受付を済ませてから列に並び、何十名か同時に説明を聞いて案内されるため、待ち時間はそれほど長くはありませんでした。
▲いただいたパンフレットと。
表紙の写真にもあるように、禁足地は「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれており、普段はもちろん非公開です。今回の特別参拝でも撮影は禁止となっています。

禁足地は石上神宮・本殿の周辺です

▲石上神宮の禁足地となっているのは、この拝殿の裏手に屋根だけが見える「本殿」の周辺です(東西44.5m×南北29.5m)。

ぐるりと石の瑞垣で囲まれている禁足地ですが、今回は瑞垣が一箇所だけ開扉され中の様子が遠目に見られるようになっており、さらに周囲を一周できるようになっていました。
▲禁足地へは、楼門と拝殿をつなぐ「回廊」脇の西側の石段から向かいます。ここからして普段は立ち入りできません。
▲先へ進むと、普段は人目に触れませんが、校倉造りの「神庫(ほくら)」なども見られました。古くは御神宝を収蔵していた建物で、かつては国宝「七支刀」などもそちらにあったのだとか(現在は「宝物収蔵庫」に安置されているそうです)。
▲さらに先へ。この先は撮影禁止のエリアとなります。

石上神宮「禁足地」の由来とは?

石上神宮「禁足地」の歴史や由来について、パンフレットの解説と、当日に神職の方から簡単にお聞きした内容などを、できるだけわかりやすくまとめました(※勘違いなどありましたらご容赦を)。

●神剣フツノミタマと禁足地の歴史

  • 石上神宮は、今から約2100年前、崇神天皇の御代七年(BC91年)に創祀された全国屈指の古社。3柱の主祭神は総称して「石上大神」と呼ばれ、第一神の「布都御魂大神(ふつのみたまおおかみ)」は、神剣フツノミタマに宿る大神様です。
  • フツノミタマとは、初代・神武天皇が九州からの東征で、熊野にて邪神の毒気におかされて全軍が仮死状態に陥った際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命により下された剣です。この剣が届くとたちまち全員が意識を取り戻し、絶体絶命の窮地を救ったとされることから、現在も「起死回生」の御神徳があるとされています。
  • 神武天皇が橿原の地で即位すると、自身の境地を救ったこの剣を宮中でお祀りさせました。時代は下って第十代・崇神天皇七年、詔により現在は禁足地とされている「石上布留高庭」に神剣が土中深くに埋斎され、以降はずっと瑞垣に囲まれた神聖な場所として畏敬されていました。
  • 御神体である剣が石櫃に収められた状態で土中に埋まっている状況を恐縮に思ったのが、明治六年(1873年)に赴任してきた大宮司・管政友氏でした。御神体を正しくお祀りしたいと発掘調査の伺書を提出したところそれが認められ、150年前の明治七年(1873年)八月二十日、禁足地の発掘調査が実施されました。
  • すると拝殿の北側からまさに一振りの剣が出現。伝承通り神剣フツノミタマがその姿を顕現しました。その場所には一つの標石を置いて、今もその伝説の跡を残しています。また、この発掘調査では多数の勾玉や管玉なども出土し、その多くは重要文化財に指定されています。
  • 神剣の顕現によって伝承が正しかったことが証明されると、それを祀るため、まずは仮本殿を建築。御本殿が完成したのは顕現より39年後の大正ニ年(1913年)のこと。大きな建物であったため、建立にあたっては禁足地を北側に約10メートル拡張しました。建築当時は禁足地には大きな木立などはなかったが、今では木々が鬱蒼としています。
  • 御本殿は、一定年数ごとに修繕する式年という制度はないが、建立後はニ度の屋根の葺き替えが行われています。前回が昭和五十八年のこと(今から41年前)。次期の屋根の葺き替えが行われるのもそう遠くないと思われるとか。
  • 「神剣が禁足地に埋まっている」という伝承があったとしても、伝承はあくまでも伝承であり、一般的には真実ではないことも多いものです。実際に発掘調査をやってみるリスクも大きかったでしょうし、あらためて宮司さんの勇気と信仰心には驚かされます。
  • 神剣フツノミタマに関しては、どのような御姿だったのか、図像などは一切残されていないそうです。現在は禁足地内の本殿に安置されていますが、石上神宮に祭祀する神職の方でもその姿を目にした経験は一度もないとのこと(「目にしてみたいとも思いません」とおっしゃられていました)。
  • なお、石上神宮の神剣といえば、何本もの枝が出たような形の国宝「七支刀(しちしとう)」が有名ですが、神剣フツノミタマとはまったく別のものです。
  • 禁足地は瑞垣(「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣)が取り囲んでいますが、出入りのため一部は開閉できるようになっています。今回はその一部が開放され、瑞垣の外から禁足地の内部を遠目から拝見する形でした。穏やかな日差しが注いでおり、とても清浄で神々しい空気が感じられました。
  • 今回の特別参拝のため、神剣が顕現した場所に置かれた標石の隣に、わかりやすいようにと「御幣(ごへい。棒の先に紙垂を付けたもの)」が立てられていました。また、禁足地の周りをぐるりと一周して(※もちろん通常は非公開)、御本殿の屋根部分を背後から拝見したりすることもできました。
▲いただいたパンフレットの中身。御由緒とともに、禁足地に関する貴重な絵や画像が掲載されています。しかし神剣フツノミタマの図像はありません。完全に不明なんですね。

限定御朱印も!七支刀のお守りもいただきました

▲拝殿前から楼門をみたところ。この日はたくさんの参拝客で賑わっており、これでもだいぶ人が少ないタイミングを見計らって撮影したものです。ちょっとびっくりしました!笑
▲私たちも「神剣フツノミタマ顕現150周年記念」の限定でいただけた「布留社」の御朱印と、親族の手術日が近かったため七支刀のお守りをいただきました。素晴らしい体験をありがとうございました!

石上神宮 神剣「フツノミタマ」顕現150年記念 特別参拝「御本殿と禁足地」

HP【公式】神剣「フツノミタマ」顕現150年記念 特別参拝のご案内
日時2024年9月21日~23日 各日9:00~15:00
料金初穂料 500円(小学生以下は無料)

石上神宮(いそのかみじんぐう)

HP【公式】石上神宮
住所奈良県天理市布留町384
電話0743-62-0900
拝観時間境内自由
※拝殿への参拝は「5:30~17:30」(※季節により変わります)
拝観料無料
駐車場無料
アクセスJR・近鉄「天理駅」から徒歩約30分(車で約8分)
※実際にお邪魔したのは「2024年9月23日」でした。

関連する記事