下り坂をゆっくり下る

【雑文】やりたいことを「我慢しない幸せ」vs「制限する幸せ」

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[1] 年をとったら我慢なんてしないほうが幸福感がアップする
[2] 物事はある程度の制限があるからこそより楽しめる

おそらくどちらも正解だと思います。「好きな時に好きなだけビールを飲む」生活も憧れますが、「より集中して楽しむためにビールは週1回」というのもありですね。

「我慢なんてしないほうが幸せ」確かに。

「年をとったら我慢なんてしないほうが幸福感がアップする」

世の中にはそんな考え方もあるそうです。

もちろん周囲に迷惑をかけない範囲内で……という条件付きではありますが、自分が欲したことは我慢したりせずにすぐに行動に移したほうが、確かに当人のストレスは減るでしょう。

現代人全般にいえることですが、特に中年期ごろの生活はストレスまみれです。仕事や子育て、介護などで忙しく、自分を押し殺して我慢することも多いものです。

だからこそ、いくらかそういったプレッシャーが弱まる(であろう)50代くらいからは、もっと自分の欲求に素直になり、我慢などするべきではない。もうそれが許される年代なのだという主張ですね。ごもっとも。

一番わかりやすい例は「食べ物」でしょう。

  • ある程度の歳になったらもう自分がその時に食べたいものだけを食べるべきである。
  • 生活習慣病や肥満には注意が必要ではあるけど、ある程度は自分の好きなようにやればいいんじゃない?

若い頃はカロリー的なことを考えて控えてきたアイスクリームだって、もう開き直って毎日食べちゃってもいいですよね。残りの人生でこの大好物を味わえる回数にも限りがあるのですから、それをできるだけ多くしようという行動にも大きな意味があります。

「会社を定年したら好きなラーメンを毎日食べ歩いてやる!」なんて考え方があってもいいですよね。加齢とともに内蔵も弱りがちですから、連日のラーメンは胃が受け付けない可能性は高そうですが。人生のペーソスを感じます。

また、こういった行動を選択できる人からは「後先を気にせずに現在を全身で楽しんでいる人」という雰囲気も感じられ、その自由さに憧れたりもします。

極端な話、ニコニコしながらべろんべろんになるまでお酒を呑んじゃう人とか、ギャンブルに熱くなって帰りの電車賃まで使い切ってしまう人とか、いまだに憧れがあります。自分自身はもうそんな無茶はできないことが分かっているだけに、「羨ましい」という想いが捨てきれません(友達になりたいかどうかは別ですが)。

物事は制限があるからこそより楽しめる?

その一方で、「物事はある程度の制限があるからこそより楽しめる」というのも真実だと思います。

大好きなラーメンだからこそ「週1回だけ」と制限することでより一食に集中でき、多くの多幸感が得られるかもしれません。毎日ラーメンを食べに行くよりも、コスト面でも健康面でも優位性はあります。

美味しいアイスクリームだって、冷凍庫のファミリーパックを「あれ?気がついたら一日で食べちゃった」となるよりも、何らかを達成したときの自分へのご褒美としておければ、1本・1個あたりの感動はより大きくなることは間違いありません。

余談ですが、せっかくのご褒美であればハーゲンダッツくらいは用意したいような気もしますが、これがガリガリ君でも満足できるくらいに普段から自分を律しておけばコスパ的には最強です。これこそまさに「清貧」かも。

自分をどのレベルに最適化しておくかは、人生において重要事項です。

[1] 「いい歳なんだからハーゲンダッツくらい食べてもいいでしょ」も正解でしょうし、
[2] 「結局のところ最後はガリガリ君に行き着くよね」とニコニコできる人生だって素敵ですし、
[3] 「アイスは食べないんだ。昔からの自分との約束事なんだ」というストイックな道を選ぶのも全然ありでしょう。

ここで重要なのは、“自分が進みたい方向” と “自分が進んでいる方向” に齟齬がないことでしょう。

[1] のハーゲンダッツルートへ進みたい人が、コスト面や健康面からそれが実現できないとなるのもストレスですし、[3] のストイックルートに進みたい人が、ついつい我慢できずにガリガリ君を食べ続けてしまうのも決してハッピーとはいえません。

結局のところ、どうやって生きたいかを選ぶのは自分自身です。人生はいろいろと思うようには進まないものかもしれませんが、現状の中で自分自身を幸せにできる最適解を見つける努力は続けなきゃいけないんでしょうね。

カレンダーに書くまでもない小さな楽しみ

そんなどうでもいいことを突き詰めて考えていくと、個人的には「制限付きの楽しみをいくつか用意しておく」ことが最強なのではないかと思ったりもします。

例え大好きなラーメンが毎日食べられる環境であったとしても、あえて回数をセーブして1回1回の喜びを最大化する。毎日ガリガリ君が食べられるとしても、温泉から出た時だけに制限する。そして何回かに一度くらいはハーゲンダッツを選んでもいいことにする。などなど。

旅行だってそうです。時間や金銭的な余裕があったとしても、毎月何日間も旅行に出ていたら、「あぁやっぱり家が一番だな」とリアルで言いたくもなるでしょう。やはりある程度の間隔をおいて、その一回の計画段階から帰宅後の回想までも楽しむようにするのがよりコスパが良いですし、私のような庶民にはちょうどいいです。

人生を楽しむコツとは、こういった「制限付きの楽しみ」をいくつ見つけて実践できるか、なのかもしれません。

たまに食べるからこそ、カツ丼はより美味しくなります。
ビールだって、飲む回数をセーブすればよりじっくり向き合えます。
毎日パチンコに行きたくなる人にも、適度というものがあるでしょう。

こういった “カレンダーに書くまでもない小さな楽しみ” をいくつも積み重ねていくことで、人は絶望することなく老いていけるのかもしれません。

もともと貧乏性な私は(実際に余裕もないですし)、昔からごく自然にこういった小さな楽しみを集めてきました。一生贅沢な遊びなどできないタイプですが、おかげさまで中高年になっても毎日をのんびり楽しく過ごせています。

ちなみに、私の直近のお楽しみは、冷凍庫に入っているアイス「チョコバリ」を食べることです。安上がり!