下り坂をゆっくり下る

【雑文】食が保守的になるのは成熟の証かも

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「外食のメニューで冒険しなくなったな」と思うことがあります。

吉野家さんではほぼ「牛丼」しか食べませんし、好きなラーメンチェーンなどへ行っても、例えば天下一品さんでは「こってりラーメン」一択。神座さんでは「おいしいラーメン」以外には目もくれません。

もともと食べ物の好き嫌いはほとんどありませんし、好みもうるさいわけではありません。たとえオーダーで冒険してそれが当たりじゃなかったとしても、大抵は「悪くないやん」くらいの範囲で収まります。常に満点を求めたりしない身軽なタイプなんですが、それでも保守的になりがちです。

こうした行動は、世間一般的には「食への興味が薄れている。老化の始まりかも」というような文脈で語られることが少なくありません。

食べたことのある無難な味だけを求めて、まだ未知の美味しいものに出会うような冒険をしなくなる。食に対する好奇心が薄れていることの証であると。

いやいや、ちょっと待ってくれと。
これは食に対する好奇心が衰えているというよりも、若い頃と比べて手持ちのカードが増えた結果であり、人間が成熟した証だと思うんです。

お金もなく常にお腹が減っていた若かりし頃には、安いチェーン店によく通っていました。牛丼1杯が300円以下で食べられるような時代もありましたし、本当にお世話になったものです。

しかし、週に何回も通っていると、大好きな牛丼だってさすがに飽きが来ます。たまには豚丼でも食べてみようか…となるのは必然でしょう。

しかし、いい年になった今は違います。
「何かでお腹を満たしたい」ではなく、「牛丼が食べたい」時にしか吉野家さんへは行きません。しかも(カロリー的な意味でも)吉野家さんへ行けるチャンスなんて年に何度かしか巡ってこないのです。そこで牛丼以外のメニューを注文するなんて無理じゃないですか。

食通で知られた作家・池波正太郎さんなどは、お散歩の途中に馴染のお店にふらっと立ち寄っては、いつものお気に入りメニューを味わっていらっしゃいました。もちろんここまでの食通となると(文章としては発表しないだけで)いろいろなものを食べているんだと思いますが、最優先するのは自分が愛したいつものアレです。

メニューで冒険しなくなるのは、決して老化ではなく、自分が好きなものをはっきりと自覚できた人間の特権だと思うんです。これでこそ健全であり、いい傾向だと思うんですよね。

と、庶民的なメニューを例に挙げてみましたが、これが「いつも5,000円のランチばかり注文しちゃう。たまには冒険して7,000円のものを注文すべきかしら?」というお悩みであれば話は違ってきます。もう私とは別次元ですから 笑

ちなみに、これと同種のお話で「初めてのお店を開拓せず、行ったことがあるお店にばかり行きがち」というものもあるでしょう。

これもある意味では当然のことで、同じ土地で何年も暮らしていれば好きなお店は自然と増えていきます。「もう一度行きたい好きなお店」がたくさんストックしてあるのにそう頻繁には行けないんですから、新規開拓は後回しになりがちです。これも人生が成熟してきた証だと思うんです。

いずれにしても、ある程度の年齢に達したら、自分が好きなメニューだけ食べていればいいんですよ(多分)。

このご時世、大好きなあのお店だってふっと無くなってしまうかもしれません。いま行っておかないともう二度と食べられない可能性だってあるんですから。あれだけ美味しかったマリトッツォだって、もうほぼ見かけないじゃないですか。現代社会がシビア過ぎるんですよ。

というようなことを考えている私ですが、つい先日、食の常識がひっくり返るような衝撃を受けた出来事がありました。

激安系ショップ「ドン・キホーテ」さんてあるじゃないですか。もともといろんな商品はお安いし、「ド」のマークで有名な情熱価格シリーズは当たりが多いし、普段からそれなりの頻度で利用しています。

先日の夜、閉店間際のドンキさんへ行った時のこと。この日は所用で夜ごはんが遅くなってしまって、お買い物ついでの半額のお弁当でも買って帰ろうかと狙っていたんですが、閉店時間ギリギリだったためか、もうお弁当売り場にはちょうど2個しか残っていませんでした。

そのうちの1個がドンキさんの「偏愛ドめし」シリーズの「具なし焼きそば丼」だったのです。

具なしの焼きそばを、白米の上に乗っけて丼にした(!)という、キテレツな一品で、「こんな攻めすぎたコンセプトのお弁当、そりゃ半額になるわな」としか言えません。

新潟生まれのエセ関西人の私、いまだにいわゆる「お好み焼き定食」的なものが苦手です。お米原理主義(ウソ)の新潟県人にとって「粉もの+白米」というのがもう驚きなんです。

個人的なポイントは「白米のお供には汁気が欲しい」に尽きるんです。粉ものだからダメというのではなく、例えばうどんであっても、汁気のあるかけうどんはアリだけど、ざるうどんはナシという感覚です(蕎麦でも同様)。もちろん異論は認めます。

ところが、この売れ残って半額になっていた『麺とソースを味わう具なし焼きそば丼』が、めっちゃ美味しいんですよ!

焼きそばがしっとりとしていて、味もやや濃い目にしてあるので、ちゃんと白米に合います。白ご飯にソース味なんて間違いない組み合わせですし、食感も麺とごはんのバランスが良くて絶妙。感覚としては神戸発祥の「そばめし」に近いのかもしれませんが、ちょっとびっくりするくらいの完成度だったんです。

これまでの価値観では絶対に手に取らなかったであろうお弁当に、夫婦ふたりして「これ、めちゃ美味しいよね!」などと言いながらペロリと完食してしまいました。まさか50を過ぎてこんな世界の広がり方をすると思いませんでしたが、店頭で見かけたらまた間違いなく購入するでしょう。

最初から最後まで安っぽい話ばかりで恐縮ですが、これからも「保守的+ちょっとした好奇心」くらいのバランスで楽しんでいければ、人生がより楽しくなるのではないかと思いますので、今後も精進してまいります!