いつ頃からか、「今やっておかないときっと数年後に後悔する」という思い(というか焦りのようなもの)を原動力にできるようになりました。
その一つが、今年2024年に挑戦予定の「100kmマラソン」です。なにせ初体験なので予想でしかないのですが、たとえ無事にゴールできたとしてもまるっと12時間はかかります。半日も走り続けてボロボロになってゴールへたどり着いたとしてそれが一体なにになるんだろう?
普通に考えれば、人間はそんなに長い距離をいっぺんに走るべきではありません。スタート2時間後にはもう「やっぱ出るんじゃなかった」と後悔しているでしょうし、レース後はまともに歩けもしないでしょうし、翌日だって階段の上り下りもまともにできないはずです。
レース当日、私は55歳。フルマラソンを完走するだけでもそれなりに「すごい」と言ってもらえる年齢です。この歳になってそんな頑張り方をする意味はあるのでしょうか。
……と自問する風にしてみましたが、その答えはとっくに分かっています。
●理由:「意味なんてない。でも達成できたら嬉しいし、もう残された時間も短い。そしてこんなチャレンジでもしないと退屈で仕方ない」
私の趣味はジョギングなのでこの方面を例にお話ししますが、他のジャンルでも同様です。たいていの頑張りには意味なんてないし、なにか頑張っておかないと退屈だったりします。歳を取るとこんなことを思い始めるなんて、若い頃には想像もしていませんでした 笑
詳しい説明は省きますが、私が走り始めたのは奈良へ移ってくる以前、おそらく2005年ごろ(36歳くらい)のこと。ずっとヘビースモーカーでしたが禁煙をきっかけに……というありきたりなものでした。
それ以来、休んだり復活したりを繰り返してきましたが、最近ではすっかり熱心な中年ランナーです。走ることも大好きですし、「20代のころよりも、今のほうが体力がある」と断言できるのはちょっと誇らしくもあります。
そんな私ですが、(言い訳はいろいろとあるものの)何年もずっと「奈良マラソンでサブ4(※4時間を切ること)」が達成できないことが続いていました。
練習タイムから考えても「本気を出せば難しくない」と思い続けていたのですが、そのタイミングでコロナ禍に見舞われ、大会は中止に。練習もままならない時期が続き、ようやく「あれ、ひょっとしたら今頑張らないともう年齢的にやばいかも?」と思ったのです。
体力的なことを考えると、とっくにピークは過ぎています。普通レベルの市民ランナーだけに、以前は練習すればするだけタイムは伸びましたが、最近では明らかに疲れが抜けなくなっています。また、ちょっと無理して故障してしまうともうなかなか治りません。
まさか自分がこんなことを実感するなんて考えもしませんでしたが、それがリアルです。私はもうがんがん追い込む練習なんてできないのです。「いま頑張らないと一生ずっと『ほぼサブ4です』と言い続けなければならないかも?」という想像がリアルに迫ってきていました。
結果的に、ほぼ1年間かけてじっくり脚を鍛え直し、トレーニングメニューもしっかりと考えて挑んだ「奈良マラソン2023」でようやくサブ4を達成。ほっとしたと同時に、「残された時間は短そうだ」という恐怖心のようなものも感じたのです。
そして、「その次」を考えた際に、真っ先に思い浮かんだのが「100kmマラソンへの挑戦」でした。ランナーの皆さんならよくご存知かもしれませんが、スピードが低下しがちな中高年ランナーがさらに長い距離へと舞台を移す、このルート自体はありがちなものです。まさか自分がその道を進むことになるとは。人生って不思議。
とにかく100kmマラソンという種目は、私のような市民ランナーレベルでは、練習にもレース中でも粘り強さが求められるため、かえって体力ピークの若手よりもある程度の年令に達したベテランが有利だともいわれます。
しかし、それにしたって体力的な限界はやってきます。早いうちにチャレンジしておかないとどんどん完走へのハードルが上がることは間違いありません。55歳という今の年齢ならまだ戦えるかもしれませんが、5年後の還暦(!)の歳にはどうなっていることやら。今よりも厳しい戦いになることは間違いないでしょう。
もうこの年齢だと、「1年1年が緩やかな“背水の陣”」といえるのかもしれません。
もちろん個々人の考え方によりますが、歳のとり方として「今のうちにアレもやっておきたい、コレもやっておきたい」と頑張ってしまう人生はちょっと生きづらそうではあります。
もちろん目標に向かって頑張るのは尊いことですが、どうやっても実現できないことは多々あるものだし、できなかったことに対する後悔も大きいかもしれません。
私のような凡人は、そんな多方面に頑張るだけの気力はありませんから、いつ頃からか「今のうちにコレだけはやっておこう」と大きめのテーマは1つずつ回収していく方法に切り替わりました。タイムリミットは迫っているものの、こう考えることで集中すべきテーマが明確になります。もうあれこれ迷っているような時間的な余裕なんて無いんですから。
「テーマなんて無くてもいいよ」という考え方もあるかと思いますが、こうした何らかの目標でもなければ、人生なんてどんどん退屈になっていくものです(多分)。
50代というのはある意味では中途半端な年代なのかもしれません。これから60代、70代と進んでいったらさらに下り坂の傾斜はきつくなることは間違いないでしょう。その時に備える意味でも、「その歳の時点でやりたいと思ったことを確実に消化していく」ことに意識を集中するべきなんでしょうね。