縄文聖地巡礼
坂本龍一さんと中沢新一さんの対談集。基礎知識がない私にはほぼ理解できませんでした
脱原発の活動を続けているミュージシャン坂本龍一さんと、人類学者の中沢新一さんの対談集。諏訪から始まり、若狭・敦賀、奈良・紀伊田辺、鹿児島、青森と、日本全国の縄文的な土地を巡り、その後に対談を行なっています。
対談が行われたのは2006年のこと。2001年のアメリカ同時多発テロ事件の後、日本のもっと深い部分を探る必然性を感じ始めたことから、ルーツとなる縄文に目を向け始めたようです。本書の発売は2010年5月。東日本大震災の10ヶ月ほど前というのも、何やら予兆的ですね。
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紹介文:「ぼくたちは、未来に向かって縄文の古層へ旅をする
以前から縄文文化に深い関心を寄せてきた音楽家の坂本龍一氏と、人類学者の中沢新一氏が、縄文の古層に眠る、わたしたちの精神の源泉に触れるため、聖地を巡り、語り合います。
諏訪、若狭、敦賀、奈良、紀伊田辺、鹿児島、そして青森へ―――
社会的な状況が大きく変化している現在、これからのヴィジョンを見つけるために、ふたりが人間の心の始まり「縄文」へと潜っていきます。」
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正直なところ、個人的にはこの対談の内容は全くピンと来ませんでした。
両氏の著作なども完全に未読ですし、全くの予備知識がないと内容を把握しづらいです。フーコーやハイデガーなどの著作が何の説明もなく引き合いに出されますが、その名前しか知らない私のような人間には理解できるレベルではありません。音楽の話もそう。言わんとすることは薄っすらと分かるのですが、理解度でいったら20%くらいでしょう。
日本の縄文文化が感じられる土地を巡るといっても、遺跡などは写真と簡単なキャプションで紹介されるだけ。対談の中で簡単にどう感じたかなどは出てきますが、少なくともその土地の空気感は感じられません。誰にも伝わらない例えかもしれませんが、『TV見仏記』でお寺さんを巡っているシーンを全部飛ばしてエンディングトークだけを見ているような感じですね(笑)
気になった部分をいくつか引用しておきます。
中沢さん『ぼくらの世界を感覚的、身体的なところでつくりかえていくやり方として、死の問題をいろんなかたちで世界の中に取り入れていくことが戦略上、重要なんですよね。生きている人間の世界は「ある」か「ない」かっていうバイナリ思考に陥りがち。でも「ある」でもなく「ない」でもない、もっと根源的な「生命力に満ちた死」があるわけで、それを組み込むと3の世界になっていく。世界はバイナリではなくトリニティの構造に変わっていく。』(44~45ページ)
坂本さん『原発こそ、現代の王ですね。現代の王は、当然のことながら自らを生贄として捧げないで、他の生命を犠牲にする。』(64ページ)
坂本さん『そんなお祭(※引用者注:東大寺お水取りのこと)が752年の創始から1200年以上、一度も途切れることなく毎年続いていることにも驚いたんですけど、一番印象的だったのは、縄文に通じる土着信仰と、整備されつつあった神道、それから外来の仏教、その3つがキメラのように合体して、そのまま「凍結」されて千何百年も残っているということですね。古代の信仰が野性的なかたちのまま保存されている。京都のお寺で感じる洗練された仏教とはちがって、土着信仰も平気で許すような野性的な仏教。いろんな要素が複雑に接ぎ木されてるんだけど、融合はしてないんですよ』(88~89ページ)
修行を積んで何年後かに再読…できる日が来るといいな(笑)