2017-02-26

2017年『飛鳥寺西方遺跡』現地説明会 @明日香村

2017年『飛鳥寺西方遺跡』現地説明会 @明日香村

中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠の際に出会った「槻の木の広場」とされる、飛鳥寺の西側に広がる『飛鳥寺西方遺跡』。新たに7世紀後半のものとみられる建物跡が見つかり、現地説明会へ行ってきました。壬申の乱の軍営がおかれたり、辺境の人々を招いて饗宴した場所だけに、古代へも妄想が広がりました!


日本書紀に登場する「槻樹の広場」

日本最初の本格的寺院「飛鳥寺」(Wikipedia)の西側に広がる、『飛鳥寺西方遺跡(あすかでらせいほういせき)』。10年計画の調査も今年で9年目を迎え、少しずつその様子が明らかになってきています。

この一帯は、日本書紀に登場する「槻樹の広場(つきのきのひろば)」(槻の木の広場)であると考えられており、歴史の大きな節目に登場しています。

●ここで行われた蹴鞠の際に、中大兄皇子と中臣鎌足が出会った
●壬申の乱(672年)には軍営がおかれた
●蝦夷や隼人など辺境の人々を招いての饗宴が行われた

蹴鞠の最中に中大兄皇子の靴が脱げ、それを中臣鎌足が拾い上げて届けたことが二人の出会いとなり、後に大化の改新(645年)のきっかけとなったとされていますから、大きく歴史が動いた場所でもあります。


2017年『飛鳥寺西方遺跡』現地説明会-01

日本最初の本格的な寺院『飛鳥寺』。日本最古の仏像「飛鳥大仏」を祀っています。いまでは小さくなっていますが、かつてはこの一帯に巨大な寺域を誇っていました

2017年『飛鳥寺西方遺跡』現地説明会-02
飛鳥寺の西側に建つ五輪塔「蘇我入鹿の首塚」。大化の改新の際に、飛鳥板蓋宮で暗殺された蘇我入鹿の首がここまで飛んできた、または首だけで襲いかかってきたのでここに手厚く供養した、などと伝わっています。五輪塔自体は、鎌倉時代以降のものと考えられるとか

2017年『飛鳥寺西方遺跡』現地説明会-03
さらに西側の「飛鳥寺西門跡」から、入鹿の首塚と飛鳥寺を眺めたところ。飛鳥寺が大きな寺域を誇っていたことが体感できます。この背後には、蘇我氏が邸宅を構えた「甘樫の丘」があり、「槻の木の広場」はその間の重要な土地に広がっていたと考えられています


新たに飛鳥時代の建物跡を発見

飛鳥寺西方遺跡からは、過去の発掘調査でさまざまな遺跡が見つかっています。2017年2月に発表になったのは、飛鳥時代の建物跡1棟です。

●【朝日新聞デジタル】大化改新ゆかりの広場、新たな建物跡 飛鳥寺西方遺跡
●【産経WEST】奈良・明日香村「槻の木の広場」跡で遺構発見 初の本格的建物
●【読売新聞】大化改新の舞台、飛鳥寺西側の広場で建物跡発見

7世紀後半のものとみられる建物跡の柱穴(直径1.2m)は9個あり、東西11m×南北6.5m以上の規模となります。3間×2間の建物で、建物の外周だけではなく、内部を支える柱もあった「総柱建物」だったことが判明。おそらく高床式の建物だったようです。


2017年『飛鳥寺西方遺跡』現地説明会-04

2017年2月26日に行われた『飛鳥西方遺跡 現地説明会』。10時から15時まで、1時間ごとに発掘の担当者さんからの説明がありました

2017年『飛鳥寺西方遺跡』現地説明会-05
『飛鳥西方遺跡』の様子。この日は全部で1200人の方が来場したそうです。この敷地の東側部分は、平成23年度に調査が行われており、石組溝などは総延長75mにものぼることがわかりました。いまからは想像もつきませんが、大規模な広場だったことが伺えます

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当日配布されていた資料。過去の調査の様子などもふくめて、全体が把握しやすい構成になっています

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調査区域の配置図。創建当初の飛鳥寺は、1つの塔の周りを3つの金堂が囲み、その周囲を回廊が連なっていました。その南西側が今回の調査地域になります

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黄色のテープで囲まれている部分が、新たに発見された「建物跡」です。柱穴は9個あり、深さ90cmとしっかり掘ってあるため、高く頑丈な物見やぐらのような建物だった可能性もあるとか。ひょっとしたら、広場で行われた蹴鞠をこの建物の上から眺めたりしたのかもしれません!

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近づいてみたところ。東西11m×南北6.5mほどのため、それほど広くは見えません。ちなみに、この周囲は田んぼと畑ののどかな風景が広がっています。何もない場所だからこそ、余計な邪魔も入らず当時の様子をたっぷりと想像できます!明日香村のすごさですね

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深い柱穴の様子

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ここは断面が分かるように切れ込みが入っていました


石組みの溝、しっかりした石列も

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建物跡の東側で見つかった、石組みの溝。おそらく1350年以上たっているものですが、はっきりとした痕跡があるものですね!すごい!

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中央に続いているのが「石列」。きれいに石が敷き詰めてあります。当時からそうなのかはわかりませんが、ところどころ抜けているのがわかります

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わかりやすい説明や、詳細な写真なども掲示してあります。こうした発掘現場の現地説明会は、あまり詳しくない方であっても十分に楽しめますので、ぜひ機会を見つけて参加してみてください!


槻(=ケヤキ)の跡は見つかるか?

担当者さんのご説明にもあったのですが、ここは「槻樹の広場」と呼ばれていたくらいですから、「槻(=ケヤキ)」の樹が、それもきっと立派な樹が植わっていたはずです。発掘調査の成果として、なんとかその痕跡を見つけたいのだとのことでした。

合間に少しだけ質問させていただいたのですが、「水分が多ければ木がそのまま遺ることもあるが、ここはやや乾き気味なので難しいかも」とのことでした。とはいえ、大木が植わっていた穴などが見つかる可能性はあるでしょう。

また、「現在のどのあたりに槻の木が立っていたと思いますか?」とややこしい質問もさせていただいたところ、(私見だと思われますが)「蘇我入鹿の首塚のあたりだと思っています」とのことでした。

首塚の五輪塔は鎌倉時代以降のものです。かつて立っていた大きなケヤキがなんらかの理由で失われてからも、その場所は記憶され、のちに霊的な場所として首塚が建てられた可能性もあるでしょう。夢が広がりますね!

飛鳥西方遺跡の発掘調査も、予定の10年の9年目となりました。最後の年にケヤキの痕跡が見つかることを楽しみにしています!


■参考にさせていただきました

【朝日新聞デジタル】大化改新ゆかりの広場、新たな建物跡 飛鳥寺西方遺跡
【産経WEST】奈良・明日香村「槻の木の広場」跡で遺構発見 初の本格的建物
【読売新聞】大化改新の舞台、飛鳥寺西側の広場で建物跡発見
【奈良新聞WEB】書紀の舞台、眼前に - 現地説明会に1200人/飛鳥寺西方遺跡










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