2015-05-30

平城京の入口の正門があった『羅城門跡』@大和郡山市

平城京の入口の正門があった『羅城門跡』@大和郡山市

平城宮跡から南へ約4kmの位置に、かつて都の正門となる「羅城門(らじょうもん)」がありました。現在はほぼ何も残っておらず、石碑や説明板があるのみです。しかし、佐保川にかかる羅城門橋からは、平城宮跡に復元された朱雀門・大極殿が観られ、美しく整備された都の姿を体感できます。双眼鏡や大きめの望遠レンズ付きカメラをもって出かけてみてください!


平城京から延びる幅75mの朱雀大路!

710年に都に定められ、東西6km・南北4.8kmに及ぶ広大な都だった「平城京」。その中心部となる「平城宮跡」(Wikipedia)は、世界遺産にも登録され、保護と復元が進められています。

平城宮の入口には、高さ20m強・間口25mにもなる立派な門「朱雀門(すざくもん)」が建てられ、都を訪れる人々を迎えました。1998年、その姿を復原した新しい朱雀門が観光客を迎えています。

この朱雀門の正面に伸びている道が「朱雀大路」です。その幅は75m!現在もその規模で復元されていますが、とてつもなく広いです。平城京を左京と右京に隔てるメインストリートで、古くはここを海外の使節団が歩いたり、市が立ったり、賑やかだったことでしょう。


平城京羅城門跡@大和郡山市-22

復元された「朱雀門」と「朱雀大路」(別の日に撮影したもの)

平城京羅城門跡@大和郡山市-23
この朱雀大路の4km先、平城京の南端に羅城門が建っていました。幅75mの大通りがずっと続くのですから、迫力があったでしょうね。南へ下るほど身分の低いものが住んでいましたから、少しずつ寂しくなっていったはずです


平城京の南端「羅城門」の跡地です

この朱雀大路はまっすぐ南に伸び、平城京の南端となる4km先に「羅城門(らじょうもん)」がありました(この先は下ツ道へつながります)。

現在、残念ながらその遺構などは遺されておらず、「平城京羅城門跡」として名前を残すのみ。隣接して「平城京羅城門跡公園」という小さな公園が作られています。

住所的には「奈良市西九条町5丁目」あたり。家具ショップ「ニトリ」などが入った商業施設の真向かいで、イオン大和郡山店からも近い場所です。車通りも多いですし、近くの工場の匂いがしたり、全体的にやや荒んだ印象ですが、ここに羅城門跡を示す碑などが建てられています。

平城京羅城門跡@大和郡山市-11
西九条緑地と名付けられたらしい一角にある「平城京羅城門跡公園」。すぐ近くを24号線が走り、イオンモール大和郡山や大きな工場が密集するエリアに、ひっそりと存在します。小さく名前が書いてあるだけなので見落としそうですね

平城京羅城門跡@大和郡山市-12
公園の真向かいには、ニトリやゼビオスポーツなどが入った商業施設があります。様子が変わりすぎていますが、この4km先は平城宮があります。左右に走る道路は、平城京の南端だった九条通のあたりです

平城京羅城門跡@大和郡山市-02
この施設のすぐ脇を「佐保川」が流れています。そこに架かる橋の名前が「羅城門橋」。橋の中央部分にこの説明看板があります

平城京羅城門跡@大和郡山市-03
「平城京のメインストリートである朱雀大路の南端に都の正門として建てられたのが羅城門です。門跡はここから南30メートルの佐保川堤防の下にあり、発掘調査で遺構が確認されています。羅城門から朱雀大路が北の朱雀門まで延びていました。この橋の上からは復原された平城宮の朱雀門や大極殿を望むことができます」

平城京羅城門跡@大和郡山市-09
説明板の地図によると、羅城門があったのはすぐ背後の「佐保川堤防の下」。この橋の少し手前の部分、佐保川と道路に挟まれた狭い位置にあったようです、ここに高さ約22m、間口約31.8mの羅城門が建っていたというのですから、今となっては信じられない気分ですね


羅城門橋から、朱雀大路が体感できます!

また、同じ羅城門橋には、奈良県の「奈良県景観資産」の一つとして、ここからの眺めが「朱雀大路を体感できる羅城門橋付近」として認定されていることが記されています。

羅城門跡の周辺は、すっかり風情のない景観となってしまいました。しかし、ここに立って目を凝らすと、4kmも先の平城宮跡に復元された「朱雀門」と、それに重なるようにした「大極殿」が見えるのです!

立派だった朱雀大路も、今では姿を変えてしまい、途中で曲がったり途切れたりしていて、その姿は想像しづらくなっています。しかし、ここに立ってみると、朱雀大路が平城京の中心をまっすぐ伸びていたことが体感できます。


平城京羅城門跡@大和郡山市-04

羅城門橋につけられた「奈良県景観資産─朱雀大路を体感できる羅城門橋付近─」の説明。「この付近には奈良時代に羅城門があり、遠方に小さく見える朱雀門(復元)まで、平城京のメインストリートである朱雀大路が4kmにわたり続いていました。朱雀門の先には大極殿(復元)の屋根が重なって見えます。」

平城京羅城門跡@大和郡山市-05
実際にこの説明板の場所から平城宮跡の方角を眺めてみると…、お天気がイマイチだったせいもあって、肉眼では薄っすらとしか分かりませんでした(ちなみに、カメラの望遠レンズも持っていくのを忘れました……)

平城京羅城門跡@大和郡山市-06
撮影した写真を拡大してみると、真正面に朱雀門が、それと重なって大極殿の姿が見えます!まっすぐ南へくだった部分に羅城門があったことが実感できました。一部で迂回する必要はありますが、朱雀大路の痕跡は今でも辿れるようです。いつか歩いてみたいと思います

平城京羅城門跡@大和郡山市-07
ちなみに、この橋の下にも説明板が設置してありますが、かなり殺風景でした。こちらの説明の方が詳しいですので、ぜひ橋の下をくぐってみてください

平城京羅城門跡@大和郡山市-08
「門の規模は桁行五間(約26m)、梁間二間(約10m)で平城宮の正門である朱雀門とほぼ同じ重層入母屋造り瓦葺の建物に復元されてきましたが、最近では門の正面を七間(約35m)で復元し、京内最大の門であったという説も出されています。」「平成17年(2005)、ここから約700m東側一帯に広がる下三橋遺跡で、掘立柱構造の羅城と十条の条坊が発見され、平城京のかたちの再検討が進みつつあります。」など、平城京をめぐって今なお新事実が見つかっています


「平城京羅城門跡公園」には石碑なども

平城京羅城門跡@大和郡山市-15
「平城京羅城門跡公園」は、万葉歌碑がいくつか建っているだけの、寂しい公園ですが「平城京羅城門跡」の石碑もみられます

平城京羅城門跡@大和郡山市-16
羅城門の記「八世紀初頭、平城京は、東西六キロメートル、南北四・八キロメートルにわたる大きな規模に新営され、和銅三年三月十日を●し、都は飛鳥の藤原京からこの奈良の地に遷された。 新京中央に整備された朱雀大路の南起点には、高さ約二十二メートル、間口約三十一・八メートルの雄大なる羅城門を構え、その両翼に高さ約六メートルお羅城を築いた。 羅城門は国城として開かれ、唐や新羅など海外諸国の使節賓客は、ここに迎えられ入京したのである。 世界に誇る天平文化の花を咲かせた偉大な都平城京を偲び、京正面にあたる羅城門跡のしるべとしてこの碑を建立するものである。

昭和五十四年三月十日 奈良市長 鎌田忠三郎

<2020/06/07 追記>●印の文字が読めず、不明でしたが、ここは「卜(ぼく)し」(=占って決めること)だそうです。コメントで教えてくださった永井さん、ありがとうございました!

平城京羅城門跡@大和郡山市-18
歌碑その1「天のはら ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」(阿倍仲麻呂)

平城京羅城門跡@大和郡山市-19
歌碑その2「いにしえの 奈良のみやこの 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」(伊勢大輔)

平城京羅城門跡@大和郡山市-20
歌碑その3「あをによし 寧楽の都は 咲く華の 薫ふがごとく 今盛りなり」(小野老)

平城京羅城門跡@大和郡山市-21
歌碑その4「敷島の 書の林に 分入ハ はてなき道の まさ道そある」(北浦定政)。19世紀、廃れていた天皇陵の調査を行ったり、平城宮跡の調査などにも大きな功績のあった方の歌です。こんな碑もあるなんて、ちょっと嬉しいですね


※マップは近くの「西九条緑地」を表示してありますが、その50mほど西側に羅城門橋があります。真っ直ぐ北へ移動すると、朱雀門・大極殿へ到達します!


■平城京羅城門跡

駐車場: あり(平城京羅城門跡公園)
アクセス: JR「郡山駅」から徒歩15分ほど


■参考にさせていただきました

奈良県景観資産―朱雀大路を体感できる羅城門橋付近―/奈良県公式ホームページ
奈良歴史漫歩No.025 平城京羅城門と来世墓の鳥居
郡山城址と平城京羅城門跡公園 - 冬青(そよご)風






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