2011-07-24

『藤原鎌足産湯の井戸』と『大伴夫人の墓』@大原の里

『藤原鎌足産湯の井戸』と『大伴夫人の墓』@大原の里

天武天皇と藤原夫人がかわした微笑ましい万葉歌で有名な、明日香村の「大原の里」。この辺りは、藤原鎌足の生誕地と伝わっており、鎌足の『産湯の井戸』、母親である『大伴夫人の墓』などが遺されています。


天武天皇「わが里に 大雪降れり 大原の…」

古くから万葉歌に詠まれた「大原の里」。奇祭・おんだ祭で有名な「飛鳥坐神社」の西側、「万葉文化館」の北東の辺りで、現在は「小原」という地名となっています。

大原で有名なのは、やはり天武天皇と藤原夫人がかわした歌でしょう。大原神社の前に万葉歌碑があります。


大原の里@明日香村-01

明日香村の「小原」の交差点辺りには、控えめな「万葉集に歌われた 大原の里」という表示があります。この辺りを散策する場合は、車は近くの万葉文化館(駐車料金は無料)に停めておくといいでしょう

大原の里@明日香村-02
天武天皇と藤原夫人の微笑ましい歌のやり取りは、同じ石に万葉歌碑として遺されています。この歌が詠まれた時に、藤原夫人がいた大原がこの辺り。天武天皇がいたはずの飛鳥浄御原宮は、ここから直線距離で1kmほどしか離れていません

大原の里@明日香村-03
天武天皇「わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後」。藤原夫人「わが岡の おかみに言ひて 落らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ」

我が里に 大雪降れり 大原(おおはら)の
古(ふ)りにし里に 降らまくは後(のち)
天武天皇 万葉集 巻第2-103
わがこの里に雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことだろう。

珍しく飛鳥の都に雪が降った日、大原の地にいる藤原夫人に贈った歌です。雪の降る年は豊作になるとされていたこともあって、飛鳥に降る雪は吉兆として捉えられたのでしょう。神と崇められる天皇が、雪が降ったことを自慢する様子が伝わってきて面白いですね。それに対する藤原夫人の反応がこちらです。

我が岡の おかみに言ひて 降らしめし
雪のくだけし そこにふりけむ
藤原夫人 万葉集 巻第2-104
私が住むこの岡の水神に言いつけて降らせた雪の、そのかけらがそちらの里に散ったのでございましょう。

藤原夫人がいる大原は、天武天皇がいる飛鳥浄御原宮とは、わずか1kmほどの距離にあります。もちろん大原にも雪は降っていて、こちらが先と軽く言い合う微笑ましいやり取りになっています。

ちなみに、藤原夫人とは、藤原鎌足の娘・五百重娘(いほへのおとめ)のこと。天武天皇との間に新田部親王をもうけています。天武天皇が崩御した後、異母兄の藤原不比等に嫁ぎ、藤原京家の祖となる藤原麻呂をもうけました。

(この辺りのエピソードは、長岡良子さんのコミック「
古代幻想ロマンシリーズ」が面白いですので、古代の漫画好きな方はぜひ!)


大原神社の裏に「藤原鎌足産湯の井戸」が

小原の交差点から50mほどの場所に「大原神社」があります。ここは神社自体よりも、その裏手に遺されている「藤原鎌足産湯の井戸」が有名ですね。神社の前にも、後から付けられたのか、目立つような案内板が作ってありました。

大原神社の裏手を流れる竹田川のほとりにあるのですが、夏の季節には雑草におおわれてしまって、ほとんどその姿が見えません。もし井戸が見えたとしても、それほど面白いものでは無いのかもしれませんが、やはり別の季節に行った方がいいかもしれませんね。


藤原鎌足産湯の井戸@明日香村-01

大原の里にある小さな神社「大原神社」。ここは藤原鎌足の生誕地と伝わっていて、奥の川のほとりには「藤原鎌足産湯の井戸」も遺されています

藤原鎌足産湯の井戸@明日香村-02
「大原の里 -藤原鎌足の誕生地-」という説明書き。中大兄皇子とともに大化の改新を推進し、藤原氏の祖となった人物です。大原神社の右の田んぼには、明治初年まで「藤原寺(とうげんじ。鎌足誕生堂)」が建っていて、本居宣長も訪れていたとか。この前の道を4kmほど登ると、鎌足を祀る談山神社へ続き、ここが表参道にあたるそうです

藤原鎌足産湯の井戸@明日香村-03
大原神社の境内。鳥居もなく、それほど広いものではありません

藤原鎌足産湯の井戸@明日香村-04
狛犬とお社。大原神社の御祭神は、品陀別命と大織冠鎌足のようです

藤原鎌足産湯の井戸@明日香村-05
大原神社の裏手には、竹田川のほとりに「藤原鎌足 産湯の井戸」があります。細い道を数十メートル進むだけですが、雑草が生い茂っていてちょっと大変でした

藤原鎌足産湯の井戸@明日香村-06
藤原鎌足の「産湯の井戸」。草に覆われてしまって、石垣がほんの少しだけ見える程度でした。できれば他の季節に行った方がいいでしょう


藤原鎌足の母「大伴夫人の墓」の円墳も

大原神社のすぐ向かい辺りには「大伴夫人(おおともぶにん)の墓」があります。大伴夫人とは、藤原鎌足の母とされる人物のこと。小さな円墳で、その頂にもほぼ何もなく、簡単な説明と石碑があるくらいですが、合わせてお参りしておくといいでしょう。


大伴夫人の墓@明日香村-01

大原神社のすぐ近くにある「大伴夫人の墓・小原の里」。解説文にはこうあります。「藤原鎌足の母、大伴夫人の墓と伝える。墓は東西約11m、南北約12m、高さ約2.4mの円墳である。また、この辺りは蘇我入鹿を殺し、大化の改新を断行した、中大兄皇子の副審であった中臣鎌子連、すなわち後の藤原鎌足の誕生地とも伝えられている。」

大伴夫人の墓@明日香村-02
大伴夫人の墓と伝わる円墳。どこの古墳もそうですが、石碑が建つくらいで、特に何があるわけではありません。ここにはベンチが置かれていましたが、どちらもペンキ塗りたてでした(笑)

大伴夫人の墓@明日香村-03
「藤原鎌足公御母 大伴夫人之墓」の碑と、小さな仏さま

大伴夫人の墓@明日香村-05
万葉文化館側から見た大伴夫人の墓。ただの丘に見えますが、これが古墳です。この右手すぐのところに大原神社が、左手に300メートルほど下ると飛鳥坐神社がありますので、合わせてどうぞ


近くに志貴皇子の万葉歌碑もありました

小原の交差点から万葉文化館方面へ移動すると、大原の地を詠んだ「志貴皇子」の万葉歌碑がありました。


大原の里@明日香村-04

小原の交差点と万葉文化館の間に立っている万葉歌碑。志貴皇子「大原の この市柴の いつしかと わが思ふ妹に 今夜逢えるかも」

大原の里@明日香村-05
すぐ脇に大意などを説明してあります

大原の このいち柴(しば)の いつしかと
我(あ)が思ふ妹に 今夜(こよひ)逢えるかも
志貴皇子 万葉集 巻第4-513
大原のこの茂りに茂ったいち柴ではないが、いつ逢えるか何とか早くと思いつづけていたあなたに、今夜という今夜はとうとう逢うことができました。


志貴皇子は、清々しい歌が万葉集に収められている方です。「(逢えない人に)逢いたい」という歌が多い中、「とうとう逢えました」という喜びを詠っているのは珍しいかもしれませんね。



より大きな地図で 大原の里 @明日香村 を表示


■大原神社

御祭神: 品陀別命、大織冠鎌足
住所: 奈良県高市郡明日香村大字小原134
駐車場: なし

■参考にさせていただきました!

大原神社
大原神社・小原神社 ohara










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